孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

子供たちへの願い

 心に決めていることがある。

 失礼で唐突、さらに私見ながら 妻は長生きできないだろう。先天的 また後天的、さらに精神にも障害を抱え、病との闘いの人生を終える直前のしばらくの間、妻が生きていくために必要なことは 全部俺が喜んでやる。そのためだけに生きて構わない。そして静かに静かに 妻の最期を見送りたい。また極端な寂しがり屋だから、慎ましく葬いを済ませたら骨壷に入れてもらったお骨は私の手元に置いておく。妻を一人ぼっちで土の下に納められるわけがない。

 浄土へ見送った妻が 向こうでどんな気持ちで私を待っているのかがわかるし、きっと妻を失った私も 生きる理由を失い もうこの世に長居はしたくないと思うだろう。これは私自身の願望でもあるのだが、妻の死から1ヶ月もしないうちに後を追うことになる。その私の人生における最後の1か月は どこかの老人介護施設にでも入れてほしいと思っている。窓から海が見えるなら それ以上のことはないが 贅沢も言えまい。窓際に妻のお骨と、安物で構わないから綺麗な写真立てに入った微笑む妻の写真だけがあればいい。他には何もいらない。妻を墓に入れるのは、私も骨になってからにしてもらおう。2人の骨は 最近よくある カプセルホテルみたいな墓に 一緒に入れてくれたら嬉しい。立派な葬式や墓なんかは本当にいらないし、戒名などというものに大金を使うくらいなら、昔から親子で行きたいと言っていたのに実現できなかった ローマのサンピエトロ大聖堂にでも子供たちで行ってくれたらいい。その方が何倍も生きた金の使い方だし、同時に何倍も嬉しい。

 もう一つ。私の遺骨は 少しでいいから郷里である五島列島 中通島の鯛の浦の海に散骨してもらいたい。そこは私の子供時代の聖地だ。日本の端っこなので今の住まいからは遠くて辺鄙なところだが、鯛の浦の桟橋から船を出したら いくらもしないうちに寒古島というお椀をふせた形の島があるから その周りに撒いて欲しい。きっと昔も今もこの先も、澄み切った海はいつも優しいはずだ。

 願いが叶えばいいなぁ。でも難しいだろうな。