孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

伝統芸

お笑いが好きだ。大好きだ。愛してる(笑)  最新のものもかなり知ってる方だと思うが、子供の頃親しんでいた芸人も味わい深く捨てがたい。今日は昔懐かしく、しみじみ度の高いお笑いのレジェンド、私のヒーローたちを紹介したい。

 

《音曲漫才》

横山ホットブラザーズ   

おーまーえーはーあーほぉーかぁ?でお馴染み。実は大部分の人はこのグループは3人だと思っているが、昔は父親である横山東六さんが入って4人で舞台をつとめていた。この東六さん、実に多彩な楽器センスを持ち、曲芸的な芸当を披露していたものだ。三味線をバンジョーやバイオリン風に演奏したり、ハーモニカを吹きながら皿回しをしたり。この父親の元で育てば、その子供からノコギリを駆使した冒頭のフレーズが生まれたのは必然だったのだろう。

暁伸・ミスハワイ

暁伸さんが持っているギターはフルアコースティックのギブソン。私が高校生の時には、欲しくてもまず手が出ない高嶺の花だった。また彼はルイ・ヴィトンのバッグを5つ購入し、その生地でギターケースを作った逸話を持つ、ある種こだわりのある変人である。ハワイさんのギロ(ひょうたんで作った楽器)をこすりながらの「あ〜い〜や〜!あ〜い〜や〜!」は子供の頃からの愛唱歌(?)だったし、彼らの味のある芸は大好きだった。

ちゃっきり娘•フラワーショウ•かしまし娘

今や絶滅危惧種である音曲漫才では、それぞれのグループに必ずテーマソングがあり、登場してその歌を伴奏付きで歌ってから本題の漫才に入る。オープニング曲だ。女性3人グループは何故か和服の女将風がセンターで三味線を弾く。両サイドはギターが多いんだけど、ちゃっきり娘だけは向かって左の秋美さん(他のメンバーは春美、夏美)がアコーディオンを操った。彼女の救急車のモノマネはバカバカしいんだけど好きだったし、フラワーショウはなんといっても向かって右に立つゆりさんの「う〜〜ち〜〜の〜〜なぁ〜〜」っていうスローな話芸には味があった。そしてトリはかしまし娘だ。姉妹である3人の人気は凄かったなぁ。長女であるセンターの歌江が覚醒剤(ヒロポン)中毒だったことは有名である。しかしこの時代は多かれ少なかれ辛酸を舐めた芸人が多かった。

 

しゃべくり漫才

夢路いとし・喜味こいし

もしこの先彼らのしゃべくり漫才を超えるコンビが出るとしたら、私の私見ながら中川家以外には見当たらない。いとこいさんの街の物売りの売り声を面白おかしく取り上げたネタは天下一品だった。いとしさんの巧妙なるボケとこいしさんの鋭くキツ目のツッコミは、兄弟ならではの素晴らしい間を生み出したものだが、いとしさん亡き後、一人舞台をつとめるこいしさんの寂しげな漫談は見ていられなかった。

中田大丸・ラケット

この人たち面白い。なんて言うのかなこんなのって。味があるっていうのか、しみじみいいんだよ、この人たち。ラケットさんはどう見ても大阪の焼肉屋によくいる、怒らせたら面倒くさい赤ら顔のオッさんだ。彼らの漫才の面白さは即興的なアドリブも飛び出すことで、大丸さんのボケにラケットさんが舞台の上で本当に笑いが止まらなくなることもままあった。あの兄弟のしゃべくり、YouTubeであるだろうからまた観てみたくなったよ、、、。

 

《舞台》

藤山寛美

天才の名をほしいままにした寛美さん。彼ほど外面は良く、身内に厳しい人はいなかったらしい。美容学生時代、玉造の商店街で屋台のたこ焼きをバイトで売っていた時、その屋台を仕切っていたテキヤおやっさんが寛美さんと親交があり、よく寛美さんのその手の話を聞いた。舞台などの仕事の際には受付の人、案内の人、衣装さん、大道具小道具さん、その他自分に接する人あらゆる方々に小袋に入った心付けを渡す。正にばらまく。惜しまない。ただし自分の付き人や身内に対しては罵声、怒声、鉄拳制裁は日常のことだった。大借金を抱え、一念発起。今から50年以上前当時の金で一億数千万を返済し切った。彼こそ日本の芸人史上最も破天荒な猛獣だと思う。娘の直美さんには「藤山寛美」の大名跡を継いでほしいと思っているのだが。

岡八郎 船場太郎 花紀京

劇団においてはこの3人がトップ、その周りに原哲夫さんや桑原和男さんまた山田スミ子さんや中山美保さんあたりが脇を固めていた。吉本新喜劇には現在の小籔さんや茂ジイ、スッチーに至るまでに、時代時代のスタアが存在し続けている。しかし吉本新喜劇の面白さの秘密はなんだろう? 幕が開き、そこにある食堂で若い座員がうどんを食べているだけで笑えてくるのはどうしてだ? 個人的には小学校のときに見て衝撃を受けた花紀京さんのとぼけた芸風が好きだ。しゃべくり漫才のパイオニアである横山エンタツさんの次男である彼の特徴は、ズバリ天才であることだ。心から敬意を感じる。

 

ちなみに在阪の芸人が所属するのは基本的に吉本と松竹に分かれるが、当時は松竹芸能が優勢だったように思う。松竹は今でこそ何だか吉本興業の後塵を拝しているように感じるが、私に芸の面白さを教えてくれたのはやっぱり松竹芸能だといえる。同社所属の漫才師シンデレラエキスプレスの渡辺 裕薫さんは、我が校で「トーク」の講師を務めていただく先生でもあった。