孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

頑張ること

 つくづく日本人は「頑張る」ことが好きな民族だと思う。いや、それ自体は間違っていないし絶対必要なことだ。しかしいき過ぎた崇拝者たちは無理な頑張りが美しいということに疑いを持たない。ひたむきな努力は無敵なのだ。日本ではビジネスにおける人事評価でも、対象の人が努力しているのか、頑張っているのかが大いにものをいう。だから逆に日本人は休むことを嫌う。サボることとは別次元のものなのに、休憩を悪だと位置付ける。休日にレジャーの格好をしている人とビジネスに向かう人が同じ空間にいれば、なんとなくビジネスマンに遠慮する人が多いのではないか? 逆に自分がそのビジネスマンの立場ならば、遊びに行く奴らがキャッキャッと騒ぐのを苦々しく思ってはいまいか。

 ここで2人の力士に登場いただく。1人目は貴乃花関だ。ある場所の14日目の取組で初黒星を喫した際、右膝を亜脱臼。千秋楽に強行出場したが、結びの一番で横綱武蔵丸に敗れ、13勝2敗で並んだ後の優勝決定戦で、貴乃花の気迫が武蔵丸を圧倒し、執念の上手投げで優勝を飾った。表彰式での優勝インタビューでは、ケガの痛みを聞かれ「特にないですよ」と答えると、大きな拍手と歓声が沸いた。内閣総理大臣杯を手渡したポエズミ進次郎議員の父ちゃん、小泉純一郎首相が土俵上で「痛みに耐えて、よく頑張った!感動した!」と叫んだあのシーンは、努力好きのお年寄りにとっては冥土の土産になったものだ(笑)  

 2人目は稀勢の里という力士だ。ある取組で、胸と上腕の筋を損傷し全治1カ月との診断だと報じられたが、精密検査では実は損傷どころかその筋組織は断裂していたのだった。しかしその事実が公表されたのはずっと後、引退してからだ。彼はケガを押して次場所、強行出場して涙の優勝を飾った。貴乃花関の時と同じく、浪花節が好きな年齢層高めの大相撲ファンはやんやの大喝采である。しかし稀勢の里関はその後そのケガをかばうためにさらに体の他の部位を連鎖的に傷めてボロボロの体を引きずりながら毎場所途中休場(全休も4場所)しながら悲しいとしか言いようのない取組を負傷以来10場所も続けることになる。彼が突き動かされていたものが周囲からの期待や激励であり、その声に応えるのが横綱である自分の責任だと思っていたのであれば誠に痛々しい限りで、私には言葉もない。しかし稀勢の里関を潰してしまったのは何なのか?また誰なのか?

 この2つの逸話は日本人の琴線に触れる。双方にいえるのは「自分を顧みないひたむきさ」が美しいと思っている日本人の価値基準である。だからビジネスにおいても、休日を返上し、寝食を忘れて没頭することは実にカッコいいことなのだ。役者や芸人が、我が親が死んでも舞台は続けた、というような話はこの上ない美談になる。能力や資質や成果ではなく「ひたむきな努力」が重要なのである。しかしそれは正しいのだろうか? 例えばアスリートがそのスポーツの継続を断念するほどの正しさなのだろうか? 私はそうは思えない。自分が負ったケガが選手生命に関わるものならば、評価されようがされなかろうが完治に最善を尽くすし、親が死ねば仕事は休ませてもらう。