孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

イナゴの佃煮

子供の頃、昆虫図鑑を見るのが好きだった。ファーブル昆虫記も随分読んだ。いい歳をしたジイさんが地面に腹這いになってルーペで小さな虫の生態を観察している挿絵が楽しかった。大人になった後検索してみた商品としての昆虫記は、なかなかのボリュームとそれに見合う値段であった。でもファーブルさん、なんであんなにハチについてばっかり記録を書いたんだろう? よっぽど思い入れがあったのだろうか。

私も里山にいる程度の虫のことなら大体わかるつもりだ。刺す虫や危険な虫、触ると後々臭い虫。その延長線上に鉄砲(テッポー)ムシと呼ばれる山の虫がいた。カミキリの幼虫なのだが、山で仕事をする男たちなら知らない人はいない。なぜならあらゆる昆虫の中でコイツほど皆が口をそろえて食べると絶品である評価がついた虫はいないからである。山では串に刺して直火にあぶって食べる。わざわざそのために竹串を山に持って行くほど美味いってことだ。ちなみにカミキリの幼虫は生木をかじって木そのものを弱らせ、下手すれば枯らしてしまうから、果樹農家の人に言わせれば、カミキリムシは漁師にとってのイルカ、野菜農家にとってのイノシシや鹿と同じく憎んでも憎みきれない対象なのである。

さてテッポームシである。枯れ木ではなく生木、またはそれに近い状態の木の中に穿孔し中に潜んでいる。縦向きの細長い穴は、どんどん木を食っていった跡だ。体一つがやっと通る程のトンネルだから、手足が要らない。体のウネウネだけで進退をしていると思われる。閉所恐怖症の個体がいたらきっと狂い死ぬであろうし、きっとトンネル内でのUターンは無理だろう、知らんけど(笑) 実は私自身はコイツを食いたくて仕方なかったんだけど運悪く今まで食いそびれている。あの日、あの時食ってればよかったのに、、、と過去におけるいくつかの場面を思い、心から悔やんでいる。

人は皆自分本位な生き物だ。自分の価値観のフィルターで社会と世界の全てを見る。自分が気持ち悪いと思う他人の習慣や行為もあれば、他人が気持ち悪いと思う自分の習慣や行為もある。日本人にとっての刺身などがいい例だ。ましてや活け造りなどは、少なくない国の人にとって常軌を逸しているのである。自分のフィルターをかけてムシというだけで顔をしかめる人も多いが、常食している国も少なくはない。それでもさらに、そんなものを食べるなど信じられない!とのたまう人が存在するなら、見た目がマズいだけで愛情豊かで人間性に溢れたブスの存在を否定しているようなものではないか。違うか(笑)?

しかし今後起こる食糧難への決定打は間違いなく昆虫食なのである。我が家では毎年イナゴの佃煮が食卓に並ぶ。生のイナゴを仕入れて炊いてやろうと思うのだが、信州あたりに買付けに行けば別だろうけど、ペットの餌用ではない食用の生イナゴは大阪にいては入手が極めて困難だ。だから佃煮として販売しているものを仕方なく食べている。