全ての人は2つに分けられる
「人は2種類に分かれる」とは昔からよく言われる。色々な時代で色々な立場の人が色々な事柄について、人のあり方や生き方を2種類に2種類に分けてきた。最近ではローランドさんの「俺か、俺以外か」という、人間を2つのカテゴリーに分ける方法としては独特の突き抜けてる不遜さが有名になったが、それ以外にも先達は色々呟いているので、そのほんの一部を紹介してみたい。
頭に『世の中には2種類の人間に分けられる』をつけて、、、
◍「できる人間と、批判する人間である」-レーガン元米大統領-
◍「善人と悪人である」-ウッディ・アレン-
◍「品位ある人種とそうでない人種である」-ヴィクトール・フランクル-
◍「スウィングする者としない者である」-竹中直人-〈映画スイングガールズにて〉
私の中ではこの他に「チャレンジする人としない人」というものを、人としてのしょーもなさを判別する1つの基準として持っている。不思議なことに私がこれまでの人生で接してきた中では、ここぞという時にチャレンジできる人は他の誰かのチャレンジを自分のことのように応援できるが、チャレンジしない方の人は、他の誰かのチャレンジを嘲笑の対象とし、「失敗すれば面白いのに…」とさえ思っていたりする全くつまらない奴らだ。人の失敗を楽しむ趣味の悪さよ。私が俗に『ドッキリ』と言われるいじめや、サプライズと呼ばれる、誰か1人だけがずっと騙され続けている悪ふざけを嫌う理由もここにある。それを楽しいと思える人は、スカッとジャパンなどという、意地の悪い報復の構図に立脚したTVプログラムでも観ていて楽しいのだろう。本当にうんざりする。私にも2種類の人間を2つ提案させて欲しい。
◍「誰か1人に対して大勢が嘘をついたりいじめたりすることを、楽しいと思える人かそうでない人か」
◍「これまでの報復を行なったことで、その人に不幸が訪れるのを見て、楽しいと思える人かそうでない人か」