孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

禁断の終業式訓話

 今年も卒業式を終えた。今年度の卒業生は早くいえばデキが悪く、統制がとれない学年であった。しかしとにもかくにも卒業生は送り出した。となると我が校では次に現1年生の年度末である3学期の終業式が執り行われる。コロナのお陰で全体を集めることがはばかられる今、学年を2つに分けた分散開催である。

 私は2年間の修業年限の中で、区切りごとに生徒に指導を行う時間をもらう。校長が出しゃばって生徒の前に立つことには賛否あるかもしれないが、各学年の年度はじめと年度末にはその時期に応じた話をする。校長の話というものは、通り一遍のどこにでもあるようなことを、原稿を読むように話される経験しか中高で聞いてこなかった生徒たちにとっては(特に1年次の年度はじめには)違和感しかなくかなり珍しらしい。しかしそんな、次の日には忘れているような話なら不要だと私は思っている。わざわざ貴重な時間を割いてもらう訳である。心に響くものでなければ全く意味はない。1年次年度末の私からのメッセージは、生き方とムダに時間を過ごすことについてだ。

 まず、3Bといわれる「彼氏にしてはいけない職業」または「結婚してはいけないししてはいけない職業」である美容師、バーテン、バンドマン の話をする。続いて私の経験談を紹介する。昔私が住むハイツの階上に、懇意にしてもらっているある一家が住んでいた。そこの娘さんが高校3年生になろうかという時期、その家の奥さんが私にこう言った。「ウチの上のお姉ちゃんね、高校で卒業後の進路決めなあかんらしいんですけどね、頭は悪いし気は利かんし、何の取り柄もないんですよ。そやから美容師でもさせよかと思ってますねん。○○さんは美容専門学校にお勤めなんですよね?ウチの子に色々教えたってくれませんか?」。私は言葉を失った。この母親は美容師という職業を、何もできないような人が最後にたどり着くような仕事だと思っている。しかも養成施設で働く私に臆面もなくそう言ったのだ。

 美容師の社会的地位はどうして高くならないのか。しかし突き詰めていくと美容師という職業の価値を下げているのは当の美容師なのであり、いい加減な美容師がいなくならない限り、世間のステレオタイプは払拭できない。ここまで話すと生徒たちのこちらに対する注目の度合いが上がってくる。すかさず私は「この世にはなぁ~んにも考えていない美容師が多すぎるんだ、無為に時間を過ごしていては君らの運命も、ネガディブな風評を作っている側の美容師たちと同じになるぞ」と。またそこにひっかけてこう問う。「何の目的もなく、達成した喜びもその逆の悔しさもなく、ヤル気もないから毎日をダラダラと過ごしていて、その結果誰も幸せにしていないようなま生き方をしている人間でも毎日生み出しているものがある。それは何だ?」と。ここはキモなので声を張る。一応生徒をあてて答えさせてみるが、大体は答えられない。このあたりで会場の一体感がより高まり、ほぼ全員が注目する。そこで満を持して「それはウンコだ」と私は真顔で言う。生徒たちは笑っていいのか悪いのかがわからず、会場を一瞬変な空気が流れるが、「自分にも周囲にもプラスにならない生き方をしていて、喜びも感動もない、ウンコを作っているだけなら、それは『ウンコ製造機』なのではないか!?」「俺はウンコ製造機のような生き方はゴメンだから目的も持っているし理想もある」「うんこ以外のものも残したいし、意味のあることもしたい」。

 大部分の生徒は笑っているが、自分の事と聞き入っている。2年間ある修業年限の内半分が終わってしまった今、残りの1年をどう過ごすかは、その後の自分の人生に少なからず影響を及ぼす。