孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

意味のない言葉

 日本語には感情が全く乗らず、また意味のない言葉が存在している。存在していても仕方のないような言葉が、ほぼ無駄に使われる現実。日本独特の価値観なのかもしれないが、それを聞いているほぼ全員が違和感を感じていないことは怖いと思うのは私だけか?


《政治編》
 大変政治的な言葉である「善処いたします」。政治家の口から発する「善処する」は、大阪人にとっての「行けたら行くわ」である。達成に向けて検討するように聞こえる言葉であるにも関わらず、まず大半はそのことについて、努力どころか何もしない。
 さてかなり前の話になるが、ニクソン米大統領が我が国の佐藤栄作総理との首脳会談で、大統領からあることを迫られた時の話が、日本人の国民性がよく表れているから面白い。
 大統領から出されたある提案に佐藤総理は「善処します」と答えた。そして通訳はその言葉を I will do my best  と訳してしまった。残念ながら日本語の「善処します」や「最善(全力)を尽くします」は、英語の do my best  ではなく、「ではまた」みたいな別れ際の慣用句でしかないことを通訳が知らないはずはなかったろうにと思うのだが。大統領はてっきり提案をのんでくれるものだと思っていたから、後刻届いた返事が「NO」であったことに、アメリカ側の要人たちは皆ズッコケたという笑えない笑い話である。いやぁ日本的だ。


《スポーツ編》
 なんとなくわかったようでわからない言葉はスポーツ界にも及ぶ。スポーツ選手がよく使う「チームで心を1つにして」や「1人は全員のために、全員は1人のために」など。また「自分たちの◯◯◯(競技名)ができるよう頑張ります」なんてのもある。例えばチームで心を1つにするにはどうすれば良いのか? 自分たちのサッカーってどんなサッカーなのか? はばからず言うなら私はこのような表面だけの耳障りの良い言葉には嫌悪さえ感じてしまう。以下例を挙げてみよう。


 試合前の監督指導:『ええか!心で負けたらあかんぞ!大事なんはピンチの時にどんだけ全員が集中できるかでそのピンチを跳ね返すか?や。みんな全力で行け!』


 続いてキャプテン:『前の試合の時、声出てないヤツもおったけど、今日は全員が声出していくで!気合い入れていくぞ!』 


 全員:『オー!!』

 

 全く具体的な指示のない監督の檄に、何が正しくてどうしていいかわからない可哀想なキャプテン。精神論でスポーツを、特に団体競技をする時代はとっくに終わっているのに、まだまだヤル気万能論が幅をきかすジュニアのスポーツ界。練習における宗教がかった質より量のメニューは、指導者自身が経験してきたものを連綿と続いている伝統だったりする。成長や上達のためとは言い難いそんな繰り返しに、将来有望な選手たちはよかれと思って意味のない努力を重ねるのだ。


《エンターテインメント編》
 時折ライブに行く。単純にその人の音楽が好きで、臨場感の中でその独特の空気を共有したいから。よって演者からの「あおり」は全く不要である。「OSAKAァァァ!」と叫ばれても、そんなことは知ってるし、どう応えるのが正解なのだろうか。さらに終盤近くになった時、「まだまだイケますかぁぁぁ⁉︎!?」みたいなことを聞かれてもなぁ。いけるかどうかが問われるのは表現者の方だし、私は単純に、また純粋に好きな歌を聴きたいのだ。それ以外の理由は無い。また、しんどいので座って聴かせてくれないかなぁ。
 好きでFMを聴くが、ラジオのDJという仕事は本当に大変だと思う。TVみたいに収録というものがなく大部分は生放送だから、カミカミ星人では務まらないし、何よりPOPSをはじめとする音楽界に通じていなければならない。またカッコ良く原題での曲紹介が必要な場面も多いから、英語の発音も問われたりする。そんなDJの口からよく聞く言葉がある。それは「是非一度チェックしてみてください」というものだ。あれは一体なんだろうか。チェックって何(笑)?どうすればいいの? Check it out  のCheckなのかな?とも思うが、日本には「チェキラ!」みたいにまさしくペラペラになってしまった可哀想で意味のほぼ無い英語も多い。