孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

過ち? 反省? 謝罪?

 毎年夏がやって来ると特別な感慨がある。長崎の小学校では8月9日は特別な日だ。夏休みのど真ん中であるこの日は毎年登校日であり、朝から校庭で全体集会があって(貧血の女の子なんかがパタパタ倒れる)、校長先生の長い話を聞かなきゃならない。そしてお決まりの、〽ああ許すまじ原爆を、三度(みたび)許すまじ原爆を・・・ の歌を聞かされた(歌わされるところもあったらしい)後、汗だくで自分の教室に戻り、今度は担任の先生から読本を配られて先生の家族や親戚の人の実例を交えながら、平和についての学習をさせられる日である。

 広島の平和記念公園にある慰霊碑の石碑前面には、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれている。この碑文のことは我が故郷長崎においても先生たちがよく口にされていた。子供の頃は何気なく聞いていたのだが、大人になるにつれ文中にある「過ち」とは何を指すのか? また「過ちを繰り返す」の主語は誰なのか? と思うようになってきた(同じ疑問を持つ人は多い)。そしてその思いは戦死した私の大叔父のことや、親父の被爆体験を詳しく調べた後に益々大きくなっていった。私見ながら毎年8月になると、自分がやってもいないことに対して反省したがる人が増えるように思っている。「なんだかわからないがとにかく謝る」というのは日本人の特性だろうか。

 石碑の「過ち」は、日本が戦争という比類ない悲惨な道を進んだことを意味するのだと安直に流されそうになるが、それは今の頭で当時のことを裁いてしまうからに他ならない。その考え方では歴史を正しく理解することなどできないだろう。例えば売春は今では非人道的なことの代表みたいな位置付けであるが、昭和30年代初めまでは売春そのものを罰する法律などなく、昭和20年に終戦した大東亜戦争以前のいわゆる従軍慰安婦の存在を「極悪非道の日本軍」だと裁くのは不可能だし、そもそも不遡及の原則に全く反している。自分の意志で職業の一つとして戦地の娼館に赴いた人(もちろん家の事情で娼婦にならざるを得なかった人もいるだろうが、国や軍が強制連行をした事実はない)を、今の頭で可哀想だと思うことは相当無理と矛盾があると思っている。

 先の戦争直前の東南アジアにおいて、独立国は日本とタイくらいだった。清は列強各国に分割統治されていたし、他の国々もほぼ全て植民地だった。次なるターゲットは日本と定め、あわよくば自国の領土にしようと機会を伺っている欧米各国に対峙し、資源のない我が国が国民と国土、そして国体を守るためには、列強に占領されているアジア各国の土地を白人から奪い返し、領土拡大を狙う強力な相手との戦いに備えなければならなかったというのが日本の立場だったと理解している。仮にあの時戦争を始めなければ、日本は平和だったのか? 歴史に「たられば」はタブーであることは承知しているものの、例えば真珠湾攻撃がなかったとしても、当時の日本の領土が欲しくて仕方がない狡猾なソ連が黙っていただろうか? きっとそんなおめでたい話ではなかっただろう。しかし現代においては、僅かではあるものの反日的な近隣国では(国内にもそれに同調するアホはいるが)、当時の日本軍は好戦的な殺人鬼だったのだと喧伝されている。我が国においてもそれを助長するような教育が長年行われているお陰で、私たちはいつも反省したり謝ったりしなければならなくなっている。原爆を落としたのはアメリカである。あれだけ非人道的な決断と行いをした相手でさえ、そのことについての我が国への謝罪はないということは、表面的にはいざ知らず、反省などしていないと思う。

 歴史を振り返ることは必要だ。反省もしよう。しかし自分たちが悪くないことに対しては、謝罪の必要はない。石碑にある「過ち」というものがもしあるとするならば、そんなものを使わなくとも戦争は間も無く終わったであろう戦況下において、世界の領主になるべく世界に睨みをきかす目的で、あえて画期的で強力な兵器を投下して効果測定をしようとしたとしか思えない米国の野望にこそ当てはまるのではないだろうか?