孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

火垂るの墓

 8月になると昔なら『火垂るの墓』がTVで放送され、子供もふくめた家族で観たものだが、最近はあの手の直接的な作品より、精神的に弱かったりハンデがあったりして、生きにくい状況下にある主人公が友情や家族の優しさに触れ・・・みたいなアニメが主流であるように思う。

 

 最近は『火垂るの墓』は視聴率が取れないらしい。なんでも世の親は、少なくない確率で『かわいそうだから子供には観せたくない』らしい。平和ボケもここまでくるともはや末期だと思うが、戦争なんだから理不尽で不公平で凄惨であることは付き物なのである。かわいそうなものを見て人の悲しみや苦しさを感じることでこそ戦争の惨さがわかり、それが平和を望む心の源になるのだと信じる。今年はおろか、どうやら向こうしばらくはテレビでは放映しないみたいだ。


 『火垂るの墓』はしんどい。結婚して娘を得た後は、節子を我が娘に投影してしまいさらに覚悟しなければ観ることができなくなったものだが、時は流れて自分自身人生の折り返しを迎える頃からは、節子がかわいそうなのはもちろんだが、妹を守ろうとしたがそれが叶わなかった兄である清太に同情が強くなり、悲惨な運命に抗うことができなかった兄の思いに涙する。


 戦争から離れれば戦争をせずに済むというのは世界の歴史を見ればファンタジーであることがわかる。大国の毒牙にかかった国の民がどのような辛苦を舐めたのかは、平和ボケの日本に住まう我々とて知っているではないか。
 
 「憲法9条を改正したら徴兵制が敷かれ、戦争が始まる」や「子供たちを戦場に送るな!」という理屈は、あまりに短絡的でかえって危険だと私は思うのだが、その考えを支持する人も少なくない。危険だといったのは我が国の文化や領土を狙う国が現れた場合(もう既にあるが)、脆弱な国防体制はそんな国を利することにしかならないからである。火事に備えて消火器を用意しているだけなのに「火事を起こす気か!?」と言われてもなぁと私などは思ってしまうのだ。


 ということで、平和を求めるならばまず戦争を知らねばならない。原爆記念日の今週あたり、きっと10回は観た『火垂るの墓』にまた浸ってみようかな。