孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

アイラブユー

 『月がきれいですね』。夏目漱石は、英語教師をしていた時、生徒が『I love you』を「我、君を愛す」と訳した際、「日本人はそんな風には言わない」として「月がきれいですね、ぐらいにしなさい」と言ったらしい。まぁ真偽の程はわからないが、私の知る限り日本人は人を『愛する』ことはできたとしても、『愛している』という言葉は流行りの歌の中以外では使わない。そういう意味で英語は便利だ。

 『アイ・ラブ・ユー』について夏目漱石氏や尾崎豊さんの歌について語る気はないが、我々が住まう日本という国において、『アイ・ラブ・ユー』という言葉は正確には和訳できないんじゃないか?と思っている。同時に日本語の『愛する』という言葉も英訳できない。上手く表現できないが、『愛する』は『アイ・ラブ・ユー』の何倍も重い、というより立脚しているところがそもそも違うのだと思う。

 『アイ・ラブ・ユー』は『大好き』という意味に近いと思う。大好きは一時の感情なので『嫌い』にもなり得る。アメリカ人の離婚率を見るとそれが間違いではないことがわかる。一方『アイ・ラブ・ユー』の訳語とされる『愛する』はそのような薄っぺらいものではないし、また『大好き』みたいな変動性の高い言葉と同義語ではないはずなのだが、日本ではこれらの全てが同じような位置付けにされている気がする。

 『愛する』とは、全てが相手ベースであり己を捨てることなのかもしれない。ただし捨てるとはいえ滅私奉公というわけではなく、相手のためにできることが喜びであり、それが自然だということだと思う。だから『アイ・ラブ・ユー』(=『大好き』)の訳として『愛している』は誤訳である。大好きではあるものの愛してはいない人と、結婚という一生を決める重要な儀式などはしてはいけないと思っている。

 少し前の話になるが、元女子柔道選手でオリンピック2大会のメダリストである松本薫さんが自身の結婚会見の際に口にした「覚悟」という言葉に、つくづく感心して結婚とはそうあるべきだとうなずいた覚えがある。松本さんは会見で「好きだから結婚するという考えが理解できない」と語った。そんな表面的なものではなく、好きな相手が認知症になったときに介護できるのか、最期まで添い遂げられるのか。そこまで考えて「全部受け入れられる」という「覚悟」ができてはじめて一生を共にできるという考えだったのである。当然浮気即離婚だ。私はそれを聞いて思わず『これだ!』と叫んだほどだ(笑)

 私見ではあるが、『大好き』と『アイ・ラブ・ユー』だけで結婚してしまうと、その後残念な結果になる可能性も少なくない。