孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

しつけと虐待・教育と暴力

 子供を教育するのは難しい。小さい時も、思春期も、若者時代も、それ以降も。親である限り。それぞれの時期にそれぞれに色々なことが気になって。親という生き物は子供のことで心配が尽きないものだ。だから我々学校のような、よその家の子供を預かる施設においては、心配性の親御さんは気が気でないのだろう、あれこれとご助言やご指導をいただき、生徒を教育する上で大変参考になる・・・とモンスターペアレントを画期的かつ劇的に美化しておく(笑)   しかしホント、この人は病気なのではないかと疑わざるを得ない文句をふっかける保護者も存在し、その場合にはもはや理屈ではなくなる。若い教員は年上世代とのコミュニケーションが苦手であり、何より否定的な意見に弱い。だからこの手のクレーマー保護者に対応する教員は神経をすり減らしたりする。

 

 我が家における話である。我が娘が小学校に上がったばかりの頃。娘はとにかくビデオやテレビが好きで、一度見始めるとやりかけていることも忘れてしまい、テレビの前で動かなくなってしまうことがよくあった。どんなことにも集中できなかった娘だったが、映像にだけは焦点を合わせた。ほとんど無意識だったのかもしれない。ある日、いつものように何度言ってもテレビに夢中になってしまっている娘に腹を立て、「そんなにテレビが好きならくっつけてやる!」と言ってガムテープでテレビに貼り付けたことがあった(今考えればハッキリ虐待である)。しばらく泣き叫んでいたが、私の怒りは収まらず、ガムテープは外したものの、顔を見たくないからと言って、夕食のオムライスは家族と一緒ではなく、自分の部屋で食べるよう言い放ったのだった。


 夫婦とまだ小さい下の子で食事を終え、娘がいる部屋の様子を伺ったら音がしない。そっとドアを開けるとオムライスは一口だけ食べられた痕跡を残し、冷めたスープとともに、クマのプーさんが描かれた小さなちゃぶ台の上に残っていた。その横で娘は顔を横に向けて上半身だけをベッドに預け眠っていた。涙の跡を頰に残したままで。
 私は次の瞬間、申し訳ない気持ちと罪の意識に襲われた。津波のように後悔の念が湧き上がってくる。なんてひどいことをしてしまったのだろう。娘はどんな気持ちであの一口を口に運び飲み込んだのだろう。娘の心に消えない傷を付けてしまったのではないか。このことは今でも私の心に棘として刺さっている。

 

 しつけと虐待、教育と暴力。我々の仕事においてもこの時代は、授業中「立っていなさい!」はダメだし、ましてや廊下に出すなんざとんでもない。そして当然生徒に対してゲンコツや平手打ちを食らわすなどはいかなる理由があるにせよ『暴力』でしかない。本人はおろか親御さんをはじめとして、誰もそれを愛のあるしつけなどととらえてくれない。

 そういえば昔の先生は生徒をバンバン引っ叩いたし、頬っぺたに先生の手の跡を残したまま授業に臨む生徒など珍しくなかった。私が中学の時など、対象の生徒に相対したその体育教員、今それを思い出すと、あたかもK-1のスパーリングのようだったといえば言い過ぎか。親も親でそんな事くらい大したことでもなかったのである。

 今は昔・・・。