孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

女性ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

 我が国に降り立った天皇の祖先は、紛うことなき神そのものであった。

 神話において有名な神々は数多くいらっしゃるが、神の子でありながら初めて人間界の王として生きた神武天皇は一際異彩を放つ。神武以来天皇家は2680年を万世一系の男系で紡いできた。旧大日本帝国憲法の第3条は、『天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス』である。天皇というものは、現人神(あらひとがみ)といって人の姿をした神だった訳だ。少なくとも昭和20年8月までは。敗戦で街は荒れ、餓死者が出るほどの貧しさのドン底にあった日本国民を慰労,鼓舞するために地方を巡幸された天皇を人々は熱狂的に迎え、有り難がった。今なら「お前のせいで罪もない国民が何人死んだと思ってんだ!」と左寄りの活動家が石の一つも投げるんじゃないかという気もするが、何せ神が直接自分たちのところまで来てくれたのだから、老婆などは涙を流して喜んだという。

 さて天皇はさておき、唐突ながら男には女性というのものを神格化する時期がある。もちろん現実にはそんなことはないとわかっていながら、妄想の中で女性を理想化し、ゲップやオナラなんかしない、不浄な自分たちとは違う世界に住まう存在に昇華してしまっている訳だ。場合によってはある日ある時、そんな女性の中でも一際神々しい存在が出現したりする。厨二真っ盛りの時期、私にもそんな女神がいた。斉藤和義さんの歌ではないが、教科書にはギターや車とともに涼しげな目をしたその女性の似顔絵をよく描いたものだ。通常男子中学生の頭の中は90%はエッチなことで占められている(笑)から、女性の顔の下には当たり前のように一糸纏わぬ裸体を描くのが通例であろう(笑) しかし私はその子の裸は描けなかった。私にとってはその子の存在はあまりに神聖であり、私のようなシモジモのものが神様を描くだけでさえ畏れ多いのに、裸体などというものを描けばその神格を愚弄することになると思ったのだ。今でも思い出すと懐かしい。麗しいその子も今は還暦かと思えば隔世の感を禁じ得ない。会ってみたいとも会わずにいたいとも思える不思議な感じだ。それこそ斉藤和義さんの歌みたいに『君は今でも綺麗』なんだろうか。

 『エースをねらえ』の竜崎麗華(古いw)みたいな女性であったとしてもウンコはするのだと、観念ではなく現実に完全に受け入れられたのは高校を卒業する頃だったろうか。だからそれまでは自分の中で女性を祭り上げていたともいえる。よく女性が上品に振る舞うのをやめて必死になったことを振り返って「その時私オンナ捨ててん!」みたいなことを口にするが、それが本当なら、女性というものは普段は上品でおしとやかな人格を演じており、オンナを捨てた状態が本当の素の自分だということになる。いやぁ、男にはそんな芸当はできない。恐るべきは女性である。