孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

命のコピー

 生けとし生けるものの運命は、必ずいつか死ぬことだ。こればかりは逃れようがない。己の命が尽きてしまうことは誰だって恐ろしい。自分の命はいつ尽きるとも構わない、私はこの人生に悔いはないのだとうそぶく人もいたりするが、あれは虚言だと思う。思うに昔から、その死生観によって、命というのものの見方は2つに別れる。まずはあくまでも今世にいたいからどうしても死にたくない人、もう1つはあの世というものの存在を絶対的なものとして捉え、あの世での満足のいく暮らしを目指す人だ。

 

 多くの歴史上の権力者は、我が世の春を謳歌しながら永遠の命を望んだ。最も有名なのは秦の始皇帝だろうか。彼は強大な権力をフルに発揮して部下に不老不死の薬を探させたらしい。ここ日本にまで始皇帝の使者である方士(占いや気功などの方術によって不老長寿なんかを目指した修行者)である徐福という人物がやって来たという記録が残る。その人に看板通りの不思議系の能力が本当にあったとは思えないが、案の定死ぬことを免れる力のある薬は手に入れることはできなかった。だからだろうか、徐福は本国に帰れず日本に残って骨を埋めたという記録もある。

 

 始皇帝は永遠の命に執着したが、死んだ後のことも怖かったのだろうか、今日では兵馬俑と呼ばれる夥しい数の実物大の兵士や戦車などを粘土で作り、自分の陵の横に軍隊として配置した。死後の世界で自分に仕えさせるために作らせたものだが、こんなにも死を恐れ、不死を求めた始皇帝の願いは虚しくも叶わなかった。例に漏れず人の力では侵すことのできない定めに従い結局死んだのだ。我が国のものさしに当てはめれば、長かった縄文時代も終焉に差しかかった頃の出来事である。
 それから2千年経って令和の世になった。しかしアンチエイジングをテーマにサプリや化粧品、エステなんかで精一杯頑張ったとしても、人は未だに不老不死の薬を見つけられていない。太古の昔と同様、今でも老いは残酷にまた確実にやって来る。どうしたって逃れられない。

 

 生命を司るDNAは単独の生き物ではないからこのような表現はおかしいのだろうが、彼ら(?)は巧妙に自分を構成する要素を、コピーを作り次の世代に連綿と繋いでいる。我々人間のDNAもそのほとんどは(ゲノム)解析され、命の仕組みは解明されつつある。それらの研究成果の最たるものの一つがクローンである。生きた人間の細胞からコピーを作るなど、もはや神の領域に踏み込んでいるともいえる。
 始皇帝が今の世の人なら、さぞや自分のクローンを作りたがっただろうと一瞬思ったが思い直した。きっと始皇帝のことだ、30も40も歳の離れたもう一人の自分など信用できなかっただろうと思う。帝王学や戦術、あるいは生き方などを散々伝授また教育した後、寝首をかかれることを恐れるはずだ。きっと自分ならそうすると考えるだろうから。

 

 たらればの話はともかく、お父さんとお母さんがいない、厳密には誰かの完全コピーである赤ん坊の誕生は、様々な可能性を秘めているが、中でも今後確実に訪れるであろう食料不足の救世主となるらしいのだが・・・えらい時代であることは間違いない。