孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

heart of glass

 『仲間意識が仲間外れを呼ぶ』とはよく言ったものだと思う。我が校の生徒たちを見ているとあまりにもコミュニケーション能力が無さすぎて笑ってしまうことがままある。多くの生徒は一人でいることができないのに、自分から働きかけてコミュニティに参加することもできない若者が少なくない。子供時代のように「混ぜてー!」と言って仲間に入れないのは、『もしかしたらそれを言うと嫌な顔をされるのではないか?』とか『自分で思っているほど私は受け入れられていないのでは?』みたいな不安があるからだ。
 そんな不安こそ取りもなおさずネガティヴフィードバックに弱い、現代に生きる若者の精神の脆さを如実に表している。とにかく否定されたくないのだ。図々しい奴と思われるのは死んでも嫌だ。自分を受け入れてくれない環境では一時たりとも居たくない。

 せっかく入学した学校だが、途中で通うのが嫌になる生徒も残念ながら存在するが、その理由として周囲との人間関係の不調和によるものが目立つようになってきた。しかし誰かと明らかに反目しているわけでも喧嘩をしたわけでもなく、『自分は嫌われている』『自分だけが仲間外れになっている』という勝手な思い込みであることが少なくない。そして我々世代には想像もできないことだが、そんな『誤解』であるかもしれないことを確認することはしない。LINEの返信が遅いとか一言で終わるシンプルものだったとかというだけで勝手にネガティブな深みに入っていくのだ。

 若者の心の弱さがよくわかるものとしてはまだある。例えば一生懸命やったことがむくわれなかったこと。よっぽどこれまでの十数年、ヨシヨシとチヤホヤされて生きてきたんだろうなぁとため息が出る。自分の『頑張った』という行為に対し誰も反応しない、また賞賛がないということに慣れていない。欲しがっている。自分の案が通らなかった時、失恋した時、意中の就職先に入社できなかった時・・・。ダメ元という言葉があるが、それはきっと今は中年以上の年齢である人にしか適用できない。若者はそんな考え方はしないからだ。ダメになる可能性があるなら初めから手を出さない。

 今やこれらの『ガラスのハート』を持っているのは生徒ばかりではない。生徒を指導しなければならない教員でさえ、異常なまでに保護者にビビり、対応するのを嫌がるし、ちょっとした要望でもクレームだと大騒ぎする。自分の至らなさを指摘されたり自分を否定されることを極度に恐れているためだ。メンタルがすぐ壊れて、素直で文句を言わない生徒しか扱えなくなってしまっているこんな『指導者』は、自分が退職するときでさえ直属の上司に自分で連絡できず『退職代行サービス』を使って意思を伝えて来たりする。

 対面でのコミュニケーション力がこれ以上貧弱になると、毎日のあいさつも顔を合わせず、部下に対する指示命令もメールで、また質問や指導もメールで行うことになるのだろうか? しかしこれでいいのか?