孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

K代ちゃん2 ➖お葬式➖

 思った通りだった。妻は通夜と葬儀に臨み、全く平常心を失った。両日とも日蓮宗の僧侶が唱える「開経偈(かいきょうげ) 」をきっかけにすすり泣きが号泣に変わった。どうしてお経である開経偈に反応したかといえば、奇しくも彼女の実家において子供の頃より親しくしている(というより崇め奉っている)日蓮宗の住職と、熱心な信者である両親に囲まれて育ったせいである。誰かが亡くなったり法事ともなれば、自宅のみならず両親に連れられ案内されたその住職の寺やよその家の座敷において、必ずあの独特の言いまわしであるフレーズを聞いていたせいで耳が覚えていたのである。

 通夜の夜、読経が終わり棺におさめられたK代ちゃんに、妻は人目もはばからずすがって大声で泣いた。その日はK代ちゃんのお母さんも熊本から来ていた。2,3度会ったことのある妻は焼香で大泣きした後、うつろな目のままその老婆の胸にすがってさらにまた泣いた。私は終始妻が過呼吸を起こさないよう、横について呼吸をコントロールした。この作業には学校で勤める仕事柄慣れている。

 その会場に弔問客がいなくなっても妻は動けるような状態ではなかったため、会場の外にある椅子に1時間は2人で座っていただろうか。私はこの時点で明日の月曜日に妻を1人で葬儀に参列させることを諦め、プライベートでのわがままながらと断って、同僚に遅刻させてもらえるよう厚かましいお願いをした。

 翌日の葬儀には親戚や知人・友人が150人程も来られただろうか。妻の希望で私たち2人は一番後ろの席に座った。しかしチェーン展開している葬儀会館での葬式というものは全く事務的なものだ。K代ちゃんとは会ったこともない司会者が、文例に基づいて誰かが事務的に出した弔電を披露し、形式通りの悲しみの演出で順次式を進行させる。妻は昨日に引き続きしゃくり上げており、頭の中で完全にK代ちゃんと自分の2人の世界に入っている。

 それでも式は進行し、いよいよ棺の中のK代ちゃんに花を手向ける出棺前のお別れの時間となった。親族が全員その儀式を終え、次は友人や関係者が故人とこの世からのお別れをする段になったが、妻はまだ盛大にしゃくり上げている。徐々に後方に座る弔問客へと順番が進み、我々の前の列に座る人たちが案内されたところで、妻に聞いた。「いけるか?立てるか?」妻は目をハンカチで押さえたままうなずくと、私に支えられながらゆっくり立ち上がった。一歩一歩フラフラと最前列まで進み、係の人から花を受け取った。離すと膝が崩れてしまうから、後ろで支える私がようやく立たせ、歩かせている。

棺の中のK代ちゃんは前の日より悲しそうな顔に見えた。妻はもらった花をK代ちゃんの顔の横に入れ、改めて「K代、、、」とうめいた。「顔を触ってあげたら?」という私の言葉に促されて頬に触れた妻は「K代が冷たい、、、」とまたひとしきり声を上げて泣いた。

 

 K代ちゃんが亡くなって1週間経ち、自宅に戻ったK代ちゃんに昨夜妻を連れて行った。骨になったK代ちゃんは小さな箱に入れられ、きれいな布に包まれていた。線香が燃え尽きるまで、妻は遺影の中のK代ちゃんを頬に涙をつたわせながらじっと見ていた。