孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

ネトウヨとパヨク

 双方の応酬合戦(口喧嘩)をよく目にする。多くはネット上でだ。Twitterというおもちゃは以前なら若者の必須アイテムだったが、我が校の生徒たちを見ていると、今や思春期過ぎのガキしかおもちゃとしての機能は使っておらず、以前中心となっていた若者はそこから離れ気味に見える。もう一つのヘビーユーザーは中年である(と思う)。
 中年のSNSの使い方は単純な自慢(こんなトコに行った、こんなモノを食べた、こんなモノを貰った・・・)や、好きな芸能人の近況に関する感想、また見る人にどう思って欲しいのかが不明な身辺雑記などに加え、政治的な批判や主張をする人も少なくなく、標題の人種はこの政治的な内容の発信に熱くなっている(と思う)。
 私自身は右側の主張の方に比較的納得できることが多いのだが、急先鋒と位置付けられている人の主張の中でも首をひねるものもあるし、右側の論客の主張全てが正しいとは思ってはいないが、以下私の思うそれぞれの特徴を挙げてみたい。

《右寄りの人の意見 ⇔ 左寄りの人の意見》
⚫︎自民の中枢部に散見⇔立民等、ほとんどの野党
⚫︎原発推進原発廃止
⚫︎憲法改正自衛隊を軍隊に⇔憲法守る・自衛隊違憲
⚫︎中韓非難⇔中韓礼讃・優先
⚫︎公人の靖国参拝推進⇔公人の靖国参拝非難
⚫︎天皇は畏れ多い存在⇔本心では天皇制不要
⚫︎産経新聞・正論・hanada等⇔朝日・毎日新聞
⚫︎沖縄の米軍基地肯定⇔米軍基地無くす
⚫︎尖閣竹島は国として強気に守れ⇔争いが起きるくらいならくれてやれ
⚫︎外国人が優遇され過ぎ・日本人優先⇔外国人に優しく優遇する

 こんなところだろうか。しかしどちらにおいてもイヤだなと思うのは、ある論客の主張に盲目的に与する人たちが多いということだ。自分の頭で考えずに、自分が支持する人が主張することに自分のフィルターをかけず、『とにかく賛成』か『とにかく反対』になる。『アベが悪い、日本を戦争に導いている!』といってプラカードを持って駅に集まってる老人などは多分その典型だろうと思う。その活動に参加、または肯定している知人にそれぞれ実際訊いてみたが、そう思う論理的な理由はない。考えなき同調なのである。
 しかしこれは左右いずれにも見られる傾向であり、政治というものは、このように空気で動く人たちの数で決まるのだと思うと情けなく、また恐ろしいと思える。