孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

母と見た夕陽

 小学校5年の1年間というもの、私は普通の小学生にはきっと経験できないような月日を送った。もちろんもっと衝撃的でドラマチックな人生の人もいるだろうけど、戦争も起きていない、独裁者もいない我が国においては、相当特殊な日々だったと思っている。

 会社の金を使い込んだ父は当然のごとく会社を解雇され、家族に累が及ぶのを避けた父は母と離婚することになり、私は兄と共に母方の姓を名乗ることになった。母の実家近くで近所の人とも関わらず、隠れるように住んだ数ヶ月を今でも思い出す。転入生などほぼ存在しないような田舎で、素性のわからない私たち親子は確実に奇異な目で見られていた。

 ある日母の弟、私から見れば叔父が訪ねてきた。普段から激しい気性の人だったが、その日は特に虫の居処が悪かったのか話しの流れが良くなかったのか、母の言葉尻をとらえて激昂した叔父は母を殴った。それも一発二発ではなく。私たち兄弟は泣き叫びながら叔父にすがり、母に抱きついた。しかし大人の男の力である。大声で喚きながら叔父も泣いていた。散々に打ちすえて気が済んだ叔父が帰った後、私たち3人は抱き合って泣いた。

 事件はすぐに近所の人の噂になり、その地にもいられなくなった。引っ越そうにもあてもなければ金もない。その時に救いの手を差し伸べてくれたのは、皮肉なことに父方の遠い親戚だった。私たちはその人の家の2階に居候として一時的に住まうことに決まった。

 引越しの前の日。母は自宅から歩いて10分ほどの港に私を誘った。何をするでもなく沖に向かって桟橋に立つ母と私。母は私の手を繋ぎながら長い時間動かなかった。その時私は10歳だったろうか。学校の奴らに見られたら恥ずかしいので手は離したかったのだが、その時の母は人形のように動かず、なんとなくそれを言い出せなかった。嘘みたいに夕陽が綺麗だった。母は私の手を強く握って何を思っていたのだろう。しかし今思い出しても後にも先にもあんなに悲しい夕陽はついぞ見たことはない。
 間もなく母の一周忌である。茜に染まったあの日の母の顔が思い出される。