孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

教え

 子供の頃、母の財布からお金を盗んだことがある。いつも母がしまっているタンスの一番上の引き出しから。1枚抜き取るつもりで開けた財布には、期待した千円札はなく、お札は1万円札が1枚入っていた。子供の私は随分ためらったが、震える手でその一枚を盗ってしまった。自分の机の引き出しに隠した1万円札。今思ってもそれだけの金額が無くなれば、当時の我が家にとっては一大事だったろう。案の定外から帰ってきた母が「あれ?」と言いながらタンスの部屋でしきりに色々な場所を開けたり閉めたりしだした。「おかしい」「何処になおしたんだ?」と呟きながらゴソゴソしている母の気配を、そわそわしながら隣の部屋で全身に感じている私。もう心臓は張り裂けそうである。母がトイレに行った。私は今しかないと思い、隠した1万円札を急いで取り出し、タンスの前の床に無造作に置いた。しかめっ面でトイレから戻った母は、次の瞬間あっと言って驚いたように動きを止めた。すかさず私は「落ちてるわー」と見えすいた嘘をついた。床の上で聖徳太子が顔を折られて上を向いていた。こっぴどく怒られると思ったのに、母は黙って私のついた嘘を拾って財布に収めると、もう一度私を見た。その目には涙が溜まっていた。私は何も言えなくなり、もう二度とそんなことはするまいと子供心に誓ったのだった。

 私が尊敬するビジネスマンの一人に佐々木常夫さんという、東レ経営研究所社長を経て現在は独立されておられる経営者がいる。自閉症の長男とうつ病と肝臓病を患う奥様を抱え、育児、家事、介護に追いかけられる状況の中で、破綻寸前企業の立て直しや数々の偉業を成し遂げたスーパーマンである。私はおこがましくも我が身と重なる部分を勝手に感じ、勝手に崇拝している。佐々木常夫さんが幼い頃のご自身の母親との逸話を紹介したい。

 佐々木常夫さんが幼い日、果物屋からリンゴを盗って食べたことがあった。それを知ったお母様は激怒し、常夫少年の手を引き果物屋さんに行って土下座して謝らせた帰り道、お母様は地域にあったプールを指さして「今度やったらお母さんと一緒にここで死ぬからね」と常夫少年に言ったという。

 いつの頃からか親であっても我が子を叩いたりすることは虐待だと言われるようになった。教育者の末席を汚す身として、こんな皮肉は口にしてはいけないことなのかもしれないが、今の子供は褒めていれば真っ直ぐ育つらしい(笑)  しかし教えるということはそんな表面的なことではないだろうと思う。子育ての情報が氾濫しているせいなのか、かえって育て方がわからず不安に押しつぶされるお母さんも増えていると聞く。しかしきっと昔のお母さんたちも家庭教育の技術や知識など知らなかったはずだ。そこにあったのは、絶対的な親子の愛情に立脚した人間としての上下関係だったと思う。子供が小さい時には、親の言うことは絶対的なものであり、親も親として絶対的な責任を負う。子育ての技術や方法は参考にする程度のものでしかない。子育てを含め、人が人を教える状況においては、上手くやる「方法」を探り過ぎてはかえって上手くいかないのだと思う。少なくとも私や常夫少年は、人の物を盗むことが絶対ダメなことだと母によって教えられた。結果的に一生忘れないものとなったその教えは、技術や方法を駆使したものではなかった。