孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

嘘と報復

 TV番組に「ドッキリ」と呼ばれる、人を騙す番組がある。あれが苦手で仕方ない。どうしても楽しめない。仕掛け人は周りの全員であり、知らないのはターゲットになる1人だけだ。あれはいじめではないのか? 寄ってたかって1人をいじ(め)る。

 学校において、誰かがいじめられてるのでは? みたいなことが起きた時、周りの子供は「ふざけていただけ」で「こんなに傷付いてるとは思わなかった」という。それとどこが違うんだろう。嘘をついて人が困ったり苦しんだり(その逆もあるが)するのを周りのみんなで笑うという行いは人道上良くない。

 

 若い子たちはサプライズが好きだ。でもよく見るとその行為が好きな度合いはヤンキー度の高さに比例している。ヤンキー度が高ければ高い程サプライズが大好きだってことだ。でもドッキリと同じ理由でこのサプライズも理解できない。周りの皆んながネタを知っていて、本人だけが知らない状況はドッキリと根っ子が同じだ。どうして普通にできないんだろう? なんで隠しておかないとアカンの? その方が感動するってホントですか? そしてアレがダメな決定的な理由がもう一つある。それは仕掛けられる方ではなく、仕掛けた側の気持ちしか考えられていないことだ。やられた人がイヤな思いをするかもしれないということなど関係なしだ。

 もし私がドッキリやサプライズを仕掛けられたら、喜ばそうと思って仕掛けてくれた人には申し訳ないけど笑っていられないかもしれないなぁ。

 

 ◯カッとジャパンというTV番組がある。妻と娘が好きだから、夕食の時に流れることもある。でも私アレ苦手なんです。全然スカッとしないんですよ。周りが困ったり迷惑したりするようなイヤ〜なヤツがいて、場の雰囲気が最悪になるところまではよくある話で理解できるんだけど、その後がいけない。仕返しをするんだもんなー。

 人が最も残忍になるのは報復をする時じゃないだろうか。だから「いい気味だ」とか「ざまあみろ」という気持ちになっている時、きっと人はイヤ〜な顔をしてるんだと思う。仕返しをしてスカッとしてるなんてゲスのやることじゃないのかな?どうしてそれを公共の電波に乗せて同調を求めるんだろうか。イヤなヤツがイヤなことをしたら、その人がグウの音も出ないような仕返しをすることで解決したことにするなんて、私には理解できない。

 

 殺人事件が起きる。しかも被害にあったのは子供だ。犯人が捕まる。親にとってはこの世の地獄。この世にこれ以上悲しく辛い事はないだろう。その親が記者会見を開く。「犯人は厳罰を受けるべき」「極刑に処してほしい」と涙の訴えをする。

 、、。我が子が殺されたらその犯人を憎む気持ちはわかる。でもその犯人に親として死を望むのはどういうことなのだろうか。犯人が苦しまないと気が済まないとか、場合によっては「仇を取る」みたいなことを言う人もいるけど、当たり前だけどそんなことしても最愛の我が子は戻らない。だったらなぜ死んでほしいのか。それは亡くなった子供ではなく親の気持ちではないのか?

 まぁそんなことを言いながら万が一、億が一にもそんな状況になれば、私も迷わずそう思うのかもしれないけどね。