孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

させていただく症候群

世に『コンビニ敬語』などという、半ば使う人をバカにした意味が込められた言葉があるが、ここで私は新たに『政治家ていねい語』というものの存在を提唱したい。政治家が国会答弁や会合でのあいさつ、またメディアにおけるインタビューなどで使う、独特の言い回しについてだ。今回はその中でも「させていただく」にスポットを当てたいと思う。この言葉は謙虚さの現れや、日本人らしい奥ゆかしさの権化のように独立し、今やこの言葉の使い方がよくわかっていない人々まで巻き込んで世間を席捲しており、意図とは全く逆に微塵も謙虚さは感じられないのは何という皮肉か。

「させていただく」というのは、他に適当な人がいないため自分にお願いされたけど、それを行うには能力が足りないのに、厚かましくも私なんかが・・・みたいな意味だ。大辞泉には『相手に許しを請うことによって、ある動作を遠慮しながら行う の意』とある。そうなのである。頼まれた、または任命された、みたいなことが前提なのである。しかし今、この「させていただく」という言葉は、単純に「行う・する = DO」のていねいな表現として使っている人がなんと多いことか。これだけ蔓延していたら「私はこの映画を観て大変感動させていただきました」といった表現に違和感を感じない人も今は多いのかもしれないが、私はこんなヤツがTVに映ると、「誰もあんたにその映画を観てくれなんて言ってへんやろ!」と突っ込んでしまう(笑)

「させていただく」は決して「行う・する = DO」のていねいな表現ではない。実例を一つ。

その日私は朝目が覚めさせていただき、布団から起き上がらせていただいた後、部屋を出させていただき、ダイニングで朝食をとらせていただきました。朝食のメニューにあったミカンの皮を剥かせていただいた時に先日けがをさせていただいた指が、ちょっとしみさせていただいて驚かせていただきました。一粒口に入れさせていただいたら少し酸っぱさを感じさせていただき、顔をしかめさせていただいたら自分でもおかしくならせていただいて一人笑いさせていただきました。

な、おかしいだろ(笑)? 誰もあんたに目覚めろ、とか飯食え、などとは頼んでいないんだよ。自分のことなんだから勝手にやりぁいいだけだ。