孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

雨ニモマケズ

 昔から本はよく読んでたけど散文やコラム、またエッセイなんかの短い文章が特に好きで、自分も随分前からその真似事をしている。短い文章というものは読んでいてストレスはないものの、短いが故にメッセージが弱く、キラリと光る輝きを全く感じない駄文も多い。短い文章は極めると俳句になるんだろうけど、定型の俳句には何故かさほどの興味を覚えず、五七五にこだわらない自由律の俳人に心酔する。それらには今そこに見えるような生命感を感じるし、なんとも言えない寂寥感やどうしようもない侘しさに共感できるからだ。尾崎放哉の『いれものがない両手でうける』という句では情景が目に浮かび、スピード感にこちらまで慌ててしまうし、もう一人の巨匠(だと私が勝手に思っている)である種田山頭火は『まっすぐな道でさみしい』や『うしろすがたのしぐれてゆくか』に代表される、だらしなさ故に落ちぶれた半生と向き合い、後悔に満ちた彼の心内のわびしさを感じずにはいられない。そして自由律俳句の他、そんな私の文学的な興味の中で独特の位置を占めるのが詩であり、それは特別な存在であった。美しい詩に浸れる時間は、例えていうなら 行く先も帰る日も決まっていない一人旅のようなものだ。人生においてこの時間の悦びを知っているのは知らない人より2割は得をしていると思う。
 宮沢賢治のあまりに有名な『雨ニモマケズ・・・』が大昔から好きだ。しかし小学校の時に初めて耳にした時から、年代に応じこの作品から受ける印象が変化してきた。子供時代の私は「デクノボーとヨバレ」にどうしても引っかかった。丈夫な体で真面目に仕事をして、どうしてデクノボーと呼ばれるのか? せっかく人に対しても優しく献身的な姿勢で生きてるのに、そんな風に呼ばれるのは嫌だと思ったものだ。ちなみにデクノボーは「木偶の棒」であり、意味は木彫のあやつり人形のことだ。なぁんもできん、役立たずということ。嫌な言葉だねぇ(笑) でも上からの視点を許してもらえるなら、私がこれまでに経験してきた世界にはこの類いの人間が必ず存在していた。
 思春期以降は「慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテイル」ってところが痺れるほどカッコ良かった。余計なことはせず微笑みを絶やさないそんな大人になりたいと思っていた。川島英五さんの「時代おくれ」の歌詞みたいな生き方だね、古いけど(笑) 結局自分も男だから強くありたい。そして最も強い人というのは、寡黙で全てのことを受け止め、いつも笑ってる人だ。驕らず怒らず虚勢を張らず、何があっても笑っていられる人だ。決して大きな声で相手を威嚇するような民度の低い奴のことではない。
 ちなみにこの詩には自分が1日に食べるものと量が記されているが、1日に米を4合も食うのかい?4合だぜー!? ホンマか!? 普通サイズの茶碗なら10杯位だろうか。朝3杯昼3杯夜は4杯ってとこか? 、、、。食い過ぎじゃないの(笑)? RIZAPなら絶対許してくれない。なんでそんなに糖質摂ってんのに太らないんだろう? あっ玄米だからなのか? でもそれにしても4合、、、。そういえば日本人はメシ(コメ)を大量に食って大量に排泄する民族らしい。大東亜戦争の折、撤退する日本軍部隊の規模をトイレ(としていた所)の排泄物の量で計ったアメリカ軍が、いざ逃げてた日本軍を追い詰めたら見積もった人数よりずっと少なかったという話を聞いたことがある。大量の糞尿を見て大部隊だと見誤ったアメリカ人兵士の顔を見たかった。
 この作品の最後の部分に付記してある菩薩や如来などの仏様の羅列には、賢治の心のよりどころが如実にあらわれている気がするが、彼自身は熱心な法華経の、よって日蓮日蓮宗の信奉者であった。これまたウンチクながら南無◯◯◯の南無というのは、◯◯◯に無条件に信心し帰依するという意味の仏教用語だ。南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経が有名かな。貴賎を問わず誰もが地獄の存在を本気で信じていた平安時代南無阿弥陀仏と唱えさえすれば阿弥陀仏が極楽に連れて行ってくれると教える浄土教が爆発的に広まったこともうなずける。

 以下その名作の全文である。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ

南無無邊行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如來
南 無 妙 法 蓮 華 経
南無釈迦牟尼
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩


引用『雨ニモマケズ』1931年 宮沢賢治