孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

現代日本における言論統制

 二宮和也さんが結婚したといって会社を休む女性がめざましニュースで取り上げられていた。きっとそんな人が多いってことでフジテレビは「日本中に『激震』が走った」という表し方をした。

 「激震」…。昭和天皇が病に倒れた最晩年、報道各社はもとよりTVCMに至るまで、「元気」とか逆に[死ぬ」などという表現や言葉は日本中が慎んだことを思い出す。色んな楽しい系のイベントやお笑いなんかも中止になった。東日本大震災の後ではサザンオールスターズの名曲中の名曲である“TSUNAMI”も控えられた。そう考えるとたかだか一歌手の結婚で「激震」に問題視しないのはどうしてかな(笑)? 誰かがそれに気づけば一斉にそこに攻撃を仕掛けるような気もするけどね。
 日本は一見自由な国だけど、今もこのように言論統制をしくべきだと訴えるアホたちがはびこっているのだ。その言論統制はもちろん国家が制定するわけではなく多くの大衆の数の力である。

 私はその場で使いたい表現を使えばいいと思っている人間である。いちいちそんなことを気にしてられるか!アホか!?とこんなことがある度にいつも思っている。いや気にするのは悪いことではないかもしれないが、何をおいてもそれがファーストになるのはおかしい。そもそも自分が被害にあったとか、障害があるとか、能力が劣るとかといった立場の人たちのために、一般の人や健常者がことさら言動に気をつけ過ぎている現状に、誰も疑問を感じていないのだろうか? 不思議で仕方ない。

 しばらく前に森三中大島美幸さんの出産をTV番組で取り上げた時には、避妊治療中の女性や子宮や卵巣といった生殖に関わる機能を失った女性から、かなりのバッシングを受けたと聞く。曰く「子供が産めなくて苦しんでいる人がたくさんいるのに、TVで出産を放映するなど無神経だ!」らしい(笑) 笑止千万でありどこまで自分ファーストなんだ?と思ってしまう。そう思っていた所に乙武洋匡さんがこの案件に触れて「健常者をテレビに映し出すなんて、手足のない人に対して配慮がない!」とツイッターで上手く返したことで間接的に大島さんを擁護していて、なかなか良いなぁと思ったものだ(この後のスキャンダルさえなかったらカッコ良いままだったのになぁw)。

 日本はいい国には違いないんだけど、相手合わせに過ぎるんだなぁ。みんなが「私は失礼なことをしているのではないか?」「一人だけ違うことをしているのではないか?」「誰かを傷つけているのではないか?」と常に不安を感じて周りをキョロキョロしている。結局文句を言われたくないんだね。相手合わせだからね。自分がないんだ。だから主張もしない。叩かれたくないからね。

 あ〜あ日本人は反対意見に弱過ぎる(笑)