孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

なぜイケメンと美人は好かれるのか

 さて 生物の最大の仕事は、自分の遺伝子を後に伝えることなのである。魚は魚なりに、鳥は鳥なりに、花は花なりに、そして人は人なりに。「種の保存」という神が定めた絶対性の前では、この世に生を受けた者は等しく 抗えない宿命の中に身を置くのである。

 人の全ての行動は その根源をたどると、生殖活動を行い 種を後世に残す本能から生まれるものであるという有名な学説があるが、多分これは正しいんだろうと思う。デール・カーネギーは、これに加えて「偉くなりたい、認められたい」という承認欲求も 人の行動の原動力であると付け加えた。しかし私はそんなカーネギーの説さえ、異性との出会いの可能性を増やすためじゃないのかな?って思っている。
 
 車が欲しい、腹筋バキバキになりたい、ハゲを隠したい、金持ちになりたい、整形したい、ブランドものが欲しい、痩せたい、嘘をつく、仲間外れにする・・・。全て結局は異性の興味を自分に向かせ、異性との出会いの確立を上げることで 子孫繁栄のための行為に近づくため、聞こえない声に突き動かされている行いなのである。人間は、したいことや実際にしていることは、自分の意志でしているつもりでも、お釈迦様の手のひらの上の孫悟空のように、実は大きな意味では種としてのDNAに操られている訳だ。

 しかし このように不遜な見方もする一方、私の中で この理屈ではどうしても説明のつかないことがあった。それは、人はなぜイケメンと美人を好むのか?という疑問に理由づけができず、釈然としないということだ。種の保存という観点だけでいうと、きっと体格が良く頑強な男と、健康的な子供を多く産んでくれそうな女性に人気が集まるはずだ。しかしそれは本能的かつ潜在的な部分であり、少なくとも表面上は誰もが(例外もあるが)美形を好む。人はイケメンと美人を求めるし、大好きなのである。「気になる」とか 「話をしたい」とか という感情は、即ちその人と近づいて ゆくゆくは自分の種を残す相手にしたいということであろうが、そこになぜ美醜が影響するのか?この疑問に対し私の考える説は、「神は需要と競争を生み出すために 価値を後付けした」というものである。元々それが価値になるものではなかったところへ「顔かたちの整った人は魅力がある」とDNAに織り込んだ。そのせいで人は皆 美しくなるために、憧れ、嫉妬し、憎しみを繰り返す。色恋にまつわる包丁沙汰なども この価値観無しには説明がつかない。莫大な費用をかけて顔を変え、シワを取り、若返りのために 持てる力を全て注ぎ込む。今や整形外科やエステサロンの待合には そんな人間の業(ごう )が渦巻いている。

 しかしそんな「学校では決して教えることのない順列」は、皮肉なことに 世の中の恋愛における秩序も生み、不要な争いの末に起きる悲しい結末をも防いでくれていることも事実だ。その結果、ほとんどのカップルは自分の収まる所に収まっているのである。見よ。世のいずれのカップルも、男女の顔かたちの程度は同レベルではないか。美形には美形が、そうじゃない人にはそうじゃない人がくっつく現実。この男女の美醜レベルは、人間としての品のレベルや金銭感覚のレベルに匹敵する 絶対係数のような気がするのだ。