孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

勝ってるチームの 9回裏の攻撃

 今回のサッカーワールドカップの日本代表はよく健闘したと思う。いやいや、こんな上から目線で彼らを評価するつもりはないのだけれど、何だか予選リーグ最終戦の後半ラスト10分間のパス回しに賛否の意見があるようなのでついでに私も一言申し上げたいと思う。はばかりながら・・・・。

 

 このたびよく耳にした批判は、予選リーグ最終戦での日本代表チームの試合における 残り時間の約10分間をパス回しに専念し、攻めに行かなかったことに対するものである。負けているのにもかかわらず、攻めずにただ自陣でボールを行ったり来たりさせてるだけ、などはスポーツマンシップに悖る行為ではないのか⁉という考えの方々が噛み付いたわけである。死力を尽くして最後まで戦いを挑む姿にこそスポーツの良さ・気高き精神があるのに、そんなことは忘れて、ただただ決勝トーナメントにさえ出場できればよいといった、見るものをナメた行いにカツを入れたいのであろう。しかしピッチ上の彼らは戦ってはいなかったのだろうか?いやいやそれは違う。彼らは2つのことでギリギリの戦いをしていたのだと私は思う。

 

 1つ目の戦いは、同時進行している同じグループの別の試合(セネガル×コロンビア)で 現在負けているチームが1点入れると、またあるいは今 正に自分たちが戦っている試合で相手にもう1点取られてしまうと、このパス回しは全くムダになるという、ギリギリの状況であったわけである。しかし 別会場の試合でも もう点は入らないだろうということに賭けた。自分たちは絶対相手に点をとらせないことに賭けた。これを戦いと言わずしてなんと呼ぼうか。

 

 今1つは、日本代表のそんな事情など関係はない、自分たちは全力で戦う姿を見に来たのだ!という多くの観客から、間違いなく起きるであろうブーイングに対して。直接的にはこちらの方がキツいかもしれない。

 

 「最後まで戦う」という価値観については、世界で最もメジャーなスポーツの一つである野球においても、既にアウトになっていることがわかってるのに一塁ベースに頭から滑り込む高校球児に拍手喝采を送るご年配のファンは少なくないだろう。最後の最後まで死力を尽くす姿はスポーツマンシップに溢れ、理想的で美しく、汗と涙と浪花節が似合う話だ・・・・ろうか? ここには疑問を感じる。

 例えば野球では勝っているチームの9回裏の攻撃はどうしてやらないのか?勝負が既に決しているからか?勝負が決まっていたらもう戦わなくてもいいのか?最後まで戦わなくてもいいのか?そんなことには疑問を持たない人がほとんどなんじゃないんだろうか ?もし勝負がもうついているから、と答えるのなら、先ほどの一塁ベースへのヘッドスライディングの高校生賞賛には矛盾が出るじゃないの?

 

 余談ながら 私は野球においては、敬遠のフォアボールなどは、ピッチャーが宣言すればボールを投げなくても成立することにしたらいいと思っているし、どうしようもない負け試合には将棋のように投了があってもいいと思っている。

 

 昔流行ったアニメで、部活の顧問が発した「あきらめたらそこで試合終了ですよ・・・」っていうのが名言とされているが、まぁそれはその通りなんだけど、かといって、絶対どんな状況でもあきらめるな!っていうのは違うと思うんだなぁ。

  そもそもサッカーにスポーツマンシップはあるのか? あんな反則ばかりやっている、または痛くもないのに顔をしかめて転げまわっている「スポーツ」は、他の競技を見渡しても プロレス位しか見当たらない。何十億という年俸の選手でさえ、私にはみっともない姿を全世界に晒しているように思えるのだが、、、。