孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

恋愛機会均等法(?)とBについて

 街を歩いていると、手をつないだり、腕を組んだり、肩を抱いたりして、我が世の春を楽しんでいるように見えるカップルをしばしば見かける。一方また、そんな楽しいデートも終わりに近づき、終電間近の改札前で 涙ぐむ女の子の頭を撫でている男の姿に舌打ちをした経験のある人も多いんじゃないだろうか?これらの女(男もそうだけど)は、ほぼ全員美しくない。以下そんな女性を表す言葉の頭文字をとってBとする。
しかしなぜBはそんなことをするのだろう!?

 私はその理由を考えた。これまでに見聞きし、また経験したことを思い出しながら。そして出た答えは、「恋愛機会は人によって均等ではなく、Bは そのBの程度に応じて恋愛機会が乏しくなるから」という 考えてみれば至極当然なものであった。Bには今しかないのだ。今しかないから彼氏と過ごせる今が、美人とはケタ外れに大事な時間なのである。イチャイチャしている奴がBなのではなく、Bだからイチャイチャするのだ。Bにとっては、今 目の前にいる恋人と別れることになったら、次のパートナーがすぐに見つかる可能性はB度に応じて ゼロに近づくのである。冷酷なようだが今後一生パートナーと呼べる存在には巡り会えないこともあり得る。よって今の相手で、「映画やドラマの中の恋人たち」を自分が主役として演じ、世間の中での自分たちの価値を確かめているのだ。だからベタつく。今しかないから引っ付きたい。ペアルックというおぞましいシステムに興じる心理もBならではである。手をつなぐにとどまらず、不必要に猫なで声で甘えたり、恥ずかしげもなく距離10センチで見つめあったりして、いわゆる仲のいい理想的な恋人を、自分たちが必死に演じているのである。しかもそんなスイートな時間を体現している時には、自分の容姿のことは忘れているに違いない。しかし、しかし。彼女たちは決して目の前にいる相手を本気で好きな訳じゃない。大切なのは「人に見られる自分」であり、自己陶酔なのだから。いわば今の相手というのは、これまでに散々味わった屈辱である、「あんなBに恋人なんかいるはずはない!」と思っている世間の目を見返すためのツールでもあるわけだ。

 Bは、別れ際がしつこく、あるいはセコい。また時に大変怖い。ストーカーは必ずBだし、別れ話がこじれてややこしいことになってしまう時、そこには必ずBの影がある。場合によっては、「命をかけて人並みでありたい」と思う人、それがBなのである。 

 Bは子供の頃から家族以外の人から好意を寄せられた経験に乏しい。これは大変危険な可能性を含んでいるのである。なんとなればBは他人から好かれる、嫌われるということに対し、やけに敏感だからである。誰かに嫌われていないだろうか?と疑いを持ったら最後 自然体ではいられない。別に嫌われてもいい!なんて絶対思えないのである。そんなときは自分の味方を作り、グルになって 自分を嫌っているであろう対象者に 逆に攻撃の矢を向けるのだ。恐ろしいことに 常に他人に対する攻撃(時に執拗で陰湿である)ができる仕組みが幼児期から頭の中でできている。

 さらに「自分は好かれている」と認識した経験が少なかったことから、「誰にでも感じよく、誰にでも優しい」という天使のようなタイプの男性がいると、自分に好意を持っているのでは?という大きな勘違いを生む。これまた非常に恐ろしく怖いことで、この勘違いがストーカーを生み、狂気の感情ににつながるのかもしれないな と私などは分析するのである。

 世の中には他人に対してさしたる理由もなく攻撃をしたがる人がいるが、理由がある場合には憎しみの感情は倍加する。そしてその理由のチャンピョンは、自分の彼氏をとられそうだ と感じたときの 相手の女に対する思いであろう。ほとんど殺意に近い憎悪であることも少なくない。しかしこのような感情がまた、Bほどキツイのである。フラれたBは怖いよ~。思い込みが強いため、そもそもつきあってたと思っていたのは、そのBだけだったりもする。相手の男にとっては まあ普通の友達の1人だったっていうオチだ。こんな恐ろしいことがこの世にあろうか。

 ちょっと突っ込んだ理論をぶってみよう。私は元々美容師なので、お客様に応対していると、容姿の美しい人は、自分が美しいということがわかっている ということがわかる。美人は子供の頃からちやほやされてきた。そのちやほやに慣れ、それが当たり前になっている。「きれいですね」と他人から言われても、そのことにはあまり疑ってかからない。それが美しい人というものだ。逆に容姿の美しくない人も自分が美しくないということがわかっている。だから褒められることに慣れていない。嘘だと思っている。「きれいですね」と言われたり、「好きです」などと告白されたりしても、悲しいことに信じることができないのである。


 美しい人が美しい人の心を持っている場合は問題ない。美しくない人が美しくない人の心を持っている場合もまぁ問題ない。問題は、美しくない人が美しい人の心を持っている場合である。美しい人が通常持っている考えを持っている美しくない人は、誰からもわけへだてなく嫌われる(笑)、俗にいうイタい人となるのである。そして必ずどこにだって このタイプはいるはずだ。

 滅多にないが、逆に 美しい容姿であるにもかかわらず、自分は美しくない と思っている人。こんな人は誰からも愛され、素晴らしいと評価を受ける。
 ここで格言を一つ。

『Bは疑う』

 神はいたずら好きである。