孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

喜劇『就活』

《履歴書》
履歴書。それはセンス。それはアピール。そしてそれは競争ツール。ヤル気を感じさせ、誠意を持って、見る人の気持ちになって。あくまで美しく。あくまで空欄なく。あくまでキチンと切った インスタントではない写真を貼る。最後に封筒の表、裏をチェックして、、、はぁはぁ息が切れる。書類審査する側から見れば、学歴・職歴(左側)と、資格・その他(右側)が見やすければそれで構わないし、空欄がないように という教えが先行して、歯の浮くような絵空事をみちみち書いているのは鼻につくだけだ。
《面接》
さて電話アポ、訪問、企業説明会等々、百千の障害を乗り越えて、やっとたどり着く境地、それが面接である。しかし私に言わせれば、面接の場で繰り広げられる応募者の口から出る言葉は、ハレンチな虚偽の自己主張でしかない。
 曰く
「私は意志が強く最初に決めたことは最後までやり通す あきらめない気持ちを持っており」?
「私は周囲から見れば潤滑油のような存在で」?
「自分の悪い部分は積極的に直せるように」?
「上司や先輩に自分から聞きに行き、どんなことでも素直に受け入れて」?
「休日は弱点の強化のための時間だと思い」?
ああうるさい!!そしてこっ恥ずかしい。日本人はいつからこのような厚顔無恥な戯言を自分の口でいけしゃあしゃあと言えるようになったのか、、、? 本当はそんなことなどどうでもよくて、その応募者にやる気と向上心があり、周囲と上手くやっていけるか、また新人じゃなければ経験やスキルが、そして人としての品格があるかどうかだ。覚えてきたようにペラペラ流暢に話す虚偽の自慢話など聞きたくもない。返事の仕方でヤル気をアピール!みたいにいうけど、ヤル気なんてそんなものでは計れない。ノウハウ本の作者よ、あんたの頭は大丈夫か?と聞きたい。
 ノックの回数は3回。なぜなら2回はトイレ用だからだそうだ。ハハハ勘弁してくれ(笑) どうでもいいことに屁理屈をつけて「こうでないと失礼」ってこじつけるのは何故だろう? (ちなみにマイナビが発行している就職雑誌にはノックは2回だと書いてあったがあれはいいのか?) 服装・髪型はこう、メイク、ネイルはこう、スーツはこう、コートは事前に脱いでおく、こんなアクセサリーはダメだ、自分をどのようにアピールする、出過ぎるな、笑顔だ、膝の上に乗せる手はこう置く、目は合わせて話せ、他者が答えるときにはこうしておけ、わが社に応募しようと思った理由は?と聞かれた時はこんなことを言えばポイントが上がる、お辞儀の角度、視線、口角、歩き方、立ち方、座り方、第一印象が最も大事、、、、。こんなことに必死になるなんて、もはやギャグであり喜劇ではないだろうか?こんな冗談に 大人たちが寄ってたかって真顔で取り組み、あまつさえ金を貰って他人にこれらを教えるアドバイザーのような仕事を生業にしてるゴキブリみたいなヤツまでいる。もちろん破天荒なチャレンジャーが嫌いな採用担当者は多いだろうけど、これらのことを気にするがあまり、素の自分の良さが出ないのはダメだろ? 面接を受けに来るマニュアルバカを審査するのがこれまた審査マニュアルバカという図式だけはどうあっても避けないといけないんじゃないんだろうか?
 私は専門学校で校長をさせてもらっているから、生徒たちが社会に出た時に、職場で上手く生きていったり 失礼が無いようにって事で、最低限のビジネス上の知識や一般常識やビジネスマナーなんかを教える立場ではある。しかし最近この手の就活の指導には疑問しかなく、喜劇役者でもないのにこんな演技を学ばなくてはいけない時代に生きる生徒たちが可愛そうで仕方ないのである。