孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

卒哭忌

百箇日法要のことを卒哭忌という。「哭」というのは、嘆くこと、悲しむこと。「卒」というのは、卒業の卒で、終わること。嘆き悲しむのも100日程で終わるという意味もあるのだろうが、100日も経つのだからそろそろ泣くことをやめなさいという意味なのだろう。

《K代ちゃん》

K代ちゃんとお別れをして早いものでもう何ヶ月かが経ちました。そちらの世界はどうですか?寂しい思いはしていませんか?寒くはないですか?辛くはないですか? 永遠の眠りについたK代ちゃんの棺にあの日すがって泣いた、あなたのかつての同居者だった私の嫁さんは、今日も1日をなんとか過ごしています。私が寄り添わないと一人ではもう何もできなくなってしまいましたが、嫁さんがあなたと2人で住んでいた時のママごとのような不自由な暮らしを振り返ると、幸せとは何なのだろうとしみじみ思います。あなたは決して涙を見せない強い人でした。都会での居心地の悪さを感じていた田舎者同士が歯を食いしばり肩を寄せ合ったあのマンションは、まだ現役で日本橋に建っていますよ。近くを車で通る時にはあの頃のK代ちゃんの熊本県人らしい明るい笑顔を思い出します。

さて卒哭忌の意味の通り、残された私たちはそろそろ泣くことをやめなきゃいけないのでしょう。でも時にそれが難しい時があるのです。それは状況を選ばす突然やってきて私を困らせます。通勤電車の中や会議中だったりもします。もしかしてあれはK代ちゃんの意思ですか? だったら嬉しいのだけど。