孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

母のこと

10歳の少年だった頃の話。ある夜母はパート先から家に帰ってこなかった。職場の男と私たちを残し逃げたのである。母はビルの清掃員で、世間の人が「掃除のおばちゃん」と呼ばれる仕事に就いていた。多くはさげすむ心から発した呼称に違いない。制服の作業着を身につけ仕事として掃除をする母にとっては、資格や経験など何もないからできる仕事などほとんどなかったし、親父の稼ぎだけではとても食べていけなかったのだからそれも仕方ない。

風呂もない2Kのアパートに一家4人で暮らした日々。母は貧乏というものに疲れていたのだと思うが、幼い私は私や家庭を捨てた母を許せなかった。服薬による自殺未遂と長い入院というプロセスを経て、再び狭い我が家に父と2人戻ってきた時、くたびれた母を見て何と声をかけていいのかわからなかったことを今でも覚えている。

親という立場になった人とならない人とでは、人生において最も大切にしなければならないものの順序が変わる。子供というものは、我が身を犠牲にしても守らなければならない。たとえ一時抗いようのない感情に支配されたとしても、夫はともかく子供を捨てては人の道にはずれるそしりを受けても仕方ないだろう。

その母が死んだ。今年は肉親や長年の親友を次々に失った年だ。しばらく前から覚悟はしていたから、取り立てて嘆きも悲しみもしなかったが、なぜだろう、憎んでいたはずなのに、過去の辛かったことや嫌なこと、悲しい思いをしたことは不思議と頭の中に浮かんでこない。それどころか涙が溢れて仕方ない。今悔いることは、母の意識がまだあるうちに、この世に生んでくれたお礼を言えなかったことだ。