孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

同じ

 美容室に勤務していた頃、来られたお客様のヘアスタイルのオーダーは以下の3つの要件によって決定づけられる。

1.『似合う・可愛く見える』
2.『好みである』
3.『ちまたで流行っている』
 現場の美容師だった私はこの3つの関係を最後まで上手く克服できなかった。お客様を自分の手で可愛く、キレイにするのが美容師の使命だが、それら3つの中で、若い女性のほぼ全員が『流行っている』を選択する。好きでもなく似合いもしいない。でも若い世代は特に、世間で流行っているものを自分もやったら可愛いくなるんだと勘違いしている。オーダーした本人に聞けばそうとは答えないかもしれないけどね。似合うっていうのはちゃんと理屈がある。美容師にとっては、そのヘアスタイルは結果として似合うんじゃなく、自分の知識と技術で似合わせているという自負がある。サロンワークをしていた時には「本当にあなた、その髪型にするの?」と疑問ばかりの毎日だった気がする。美容師にオーダーする髪型が、本人の丸顔を強調してしまおうが、せっかくのきれいなあごのラインが目立たなくなろうが関係無い(笑) そんな理屈はブッ飛んでとにかく流行が優先するんだ。しかしもちろんトレンドセッターになりたいという意味ではない。あくまでそれに追従するフォロワーとしてだ。
 日本という国は良くも悪くも「みんな一緒」が好きなお国柄だとしみじみ思う。いつも右を見て不安になり、左を見て安心している。または前を見て馬鹿にし、後ろを見てホッとしている。なぜそうなるかといえば自分は周りと違うのではないか?という不安を常に持っているからだ。周りと同じなら安心するし、他人を馬鹿にしたり嗤ったりするのは結局異端者に対して、あなたは異端者であるということを気づかせ、大多数側に引き入れたいと思う心の表れではないだろうか。その異端者は今は異端者だが、その人に同調者が増え新しいトレンドとなることで自分の方が逆にマイノリティになってしまう怖れからの防衛行動なのだと思う。出る杭は打つわけだ。結婚式や葬式では何を着るか、いくら包むかを周囲と相談して自分だけが目立たないようにする。物事を判断する基準が自分と主役の方との関係ではなく、自分を取り巻く周りと合わそうとするのである。「破綻のない」とか「無難な」というような生き方をみんなが目指すんだね。
 目に見えるものだけじゃない。好き嫌いも他人に合わせる。世間で何かが可愛いとかカッコいいとなれば、全員が大フィーバー(古いかw)で猫も杓子も一色に染まる。でもしばらくしない間に忘れられることの繰り返しだ。あの大嵐のようなタピオカの狂乱も、今や売れなくなってきたアイドルのようだ。盛者必衰のことわりである。
 個を埋没させる人たちが集まって自分というものを殺す日本人。なぜこんなことになってしまったんだろうか。若者が使う「空気を読め!」や「KY」などという仲間同士のおぞましい関係性を見るにつけ背筋が寒くなる。空気は読むものではなく吸うものだ。日本人全員に自己を確立してほしいと切に願い、祈るけど一体どうしたらいいのだろうか。