孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

そっち方面のお洋服は危険です

 お洒落に生きたい。でもそれは流行の服を着て颯爽と街に出たいってことじゃない。そんなこたぁ逆にこっ恥ずかしくってダメだ。ここで語りたいお洒落とは内面のことである。外見は内面の一番外側だというではないか。ではどんなことか? 一言で表すなら、ええカッコするということに対して無理をしていないことだ。イチビってはいけない。そこに無理が見えたらそれはもうお洒落じゃない。若ければまだいいけど、中年を過ぎれば若作りをしたところで若くは見えない。品のいいものを主張し過ぎないギリギリのところで寸止めにしておきたい。しかし値段ではなくあくまでも品の良さで。そのギリギリのラインって、人によってボーダーが違うから難しいんだけどね。

 しかし街中に闊歩する自分はお洒落だと勘違いしている中年たちに対して、私が特に声を大にして注意喚起したいのが、ある年代以上におけるダメージ系のファッションへの関わり方である。

 

 ヘアスタイルのデザインを考える時の知識として「同じ印象のものは同調し強調される」という視覚上の効果がある。シャープな髪型なら顔の中でもキリッとしたパーツが同調し強調される。山口小夜子さんなんかがわかりやすい例だ。シャープなヘアカットラインは彼女の切れ長の目を嫌でも強調する。また逆に髪型が優しく曲線的ならば、顔の構成要素の中でも、髪型と同じく優しい印象のパーツが強調される。こんなものは理論のほんの一部に過ぎないが、美容師はこのような知識を自在に駆使して目立たせたり隠したりしながら似合う髪型を作っている(•••はずだ)。だから似合うというのは、一般の人は偶然だと思っているみたいだけど、わかる人が手掛けて意図的に「作る」ものだ。

 

 話を戻して、この同調の理論が、身に付けるものと顔との関係でも成り立ってしまうことに注意をしてほしい。穴の空いたデニムやペンキをブチまけたようなパンツ、かなり使用感のある革ジャン(特にライダース)なんかは、着る人を完全に選ぶ。身長,体重,体型なんかじゃなく、人からどう見えるかに最も影響するのは年齢だというのは残酷な事実なのである。例えばダメージ系のものを身に付けていると、顔の中でダメージのあるくたびれたパーツを目立たせることになる(笑)   要するにシワやショボついた目などが、より目立ってしまう訳だ。ヤバイだろ!これは! これはあくまでも私の考えだが、ある程度以上歳をとれば、ダメージや着古した感じのものは身に付けたらダメだと思う。自分の顔は若い頃より間違いなくくたびれていることを認識せねばならない。

 

 粋なジジイが仕立ての良い真っ白のシャツをサラリと着こなしているなんてのは、人間の質の良さが出ていて好きだ。これぞお洒落なんだと思う。サウイフモノニワタシハナリタイ。

 若者におもねるのは品のない人のすることだと57歳のオジさんなんかは思っちゃうんだぜ(笑)