孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

礼装

 秋は結婚式シーズンである。この時期になるといつも思うことがある。日本には世界的に見ても優れた礼儀・礼節という美しい文化があると確信しているが、残念なことに相手への礼儀として大切にしなければならないことの一つである「主催者に礼を尽くす思いを服装に表して臨まないといけない」ということの価値はここ数十年でほぼ無くなってしまった。いや和装にはその精神がなんとか一部残るが、平常洋装しか着ない我々にとっては「礼」というものについてはもう無法地帯に生きているようなものである。私自身この現実を嘆かわしく思っているが、以下多少自虐気味に偏りつつ(笑)、現実を切ってみたい。


《結婚式》
-新郎-
 挙式での和装スタイルはやっぱり日本人に似合う。ゲストハウスの広告なんかで紋付を着たブロンドの白人が笑ってたりするけど、なんか変だ。日本人の平べったい顔でないと、あのスタイルはしっくりこない(笑) だから結婚式では挙式でのスタイルである紋付のまま最後まで通せばいいのになぁと常思っている。でも今の人はどんな顔かたちの人でも、披露宴では初めからか途中からかは別にせよ洋装にしたがる。お色直しからの再登場では、しばしば七五三の少年みたいな新郎が恥ずかしそうに出て来るのを見て、(恥ずかしいのはこっちだ)と思ってしまうんだなぁ。しかも今はフロックコートばかりだ。偏見かもしれないけどあれを着ることができるのは痩せてる人だけだ。肩幅が広くてゴツい(体格や顔付き含め)ヤツにはどうしても合わない。特に頭の大きな人はやめた方がいいと思う。そんな人にはぜひ紋付のままでいてくださいな。その方がずっといい。
 新婦は着替えるのに、、、とか新婦とのバランスが、、、って思うかもしれないけど、そんな気遣いなどいるか? 新郎新婦のバランスなど誰も興味はないし、男が和装のままでもなんら問題ない。そもそも披露宴というものは新婦を目立たせようとするイベントなんだから、新郎と新婦のバランスなど必要ない。勝手にやればいい。新郎は黒子みたいなものだ。

 違和感はまだ続く。新郎の髪型である。服装と同じく、日本は髪型にも規制がない。そもそも日本にはビジネスにおいても髪型の決まりはないから、スーツで仕事をしている人でさえ髪だけは遊んでいる(笑)ような日常で、それ故結婚式も同じだって思うんだろうなぁ。しかし最も格式高い場面の礼装でブリーチ毛やツーブロックはないぜー。あんまりだよー。

-新婦-
 今の花嫁の衣装や髪型は、形式美などどこ吹く風、ほぼ自由であるといっていい。なんとワインレッドのものだってあるんだから、文金高島田が明るい茶髪だというくらいでは驚かない。またそれに合わせるのは最近は角隠しより綿帽子の方をよく目にする気がする。怒りの心は抑えてその家に染まりなさいっていう「角を隠す」という考え方に反発があるのかなぁ?
 まぁしかしなんせ打掛を着ているのに頭は洋髪だったりする、無国籍の五目そばみたいな状態をおかしいと思わない人たちが仕掛け、また仕切り、そしてそれに嬉々として乗っかる消費者が今の婚礼というものを作ってるんだからしょうがない。もしかしたら、もう今は伝統的な礼装というものの気高さや美しさに心酔している私みたいな人間の方が、異端で古臭いのかもしれない。

-参列者-
 服装や髪型はまるっきり自由な割に結婚式の案内が来ると、出欠の返事の書き方やご祝儀の金額、また金封の決まり事にはやけにうるさくこだわるのもおかしな話だ(笑) 新郎新婦同様、参列者も一人残らず着ているものに何のこだわりも無い(だろう?) 女性は白はダメってくらいだし、さらに男なら黒さえ着ていればOKだ。全くため息が出る。礼を尽くす気持ちがあるなら礼装をするべきなのに、何なんだ親族席にズラッと揃ったあの黒の上下のオッさんとジジィは? いつから日本の男は黒のスーツを着るようになったんだろう。私はこうなった原因はスーツの量販店のCMだと睨んでいる(笑) 歴史を調べたらわかるのかなぁ。でも少なくともまだそんなに経ってないんだろうと思う。
 ホテルのバンケットで行われるようなウエディングパーティーというものは、格式高いもののはずなのに、来賓である肝心の参列者が「主催者に敬意をはらうために着るものを選ぶ」という考えはないし、出来の良くない大学生がサークルでやってるような出し物を見せられるんだもん、今の日本の結婚式はしょーがねぇ。


《卒業式》
 学校に勤めていると年中行事として必ず卒業式がある。そこに参列するには礼服というものを身につけて式に臨むのが当たり前なのだが、式典での生徒たちの姿にはもうここ数年、目も当てられない惨状が続いている(笑)
 我々はファッション業界の一端を担っているのだし、美容師としてそれを知らない方々に対し、礼装の決まり事などを教えて差し上げる立場であるにもかかわらず、嘆かわしくも女子生徒はほぼ全員が袴姿である。なんで袴?と聞いても彼女たちは理由など持っていない。日本人の、それも女性の特性である「みんな一緒」が安心なのだろう。百歩譲って袴を所有しているのならまだしも、みんな金を出してレンタルするのである。めまいがする思いだ。こんな日にこそ振袖を着たらいいのになぁ、と毎年思う。いや授業では、未婚女性の最も格式の高い礼装は振袖だと教えているのにである。「袴時代」の幕開けは20年前頃、さらに今みたいに「袴ばっかり」になってしまったのはここ10年くらいではないだろうか。全員同じものを着て安穏としているなんて、なんと面白さのないことか。

 私が今の職場である美容学校で働き始めた頃には、袴を身につけて式典に臨む生徒もいたにはいたが、極々少数だった。やはり振袖が多かったが、主張を持ってトンがったヤツや普段着のデニムで毅然と参列するヤツありと、美容学生らしい式典だったように思い出す。私は礼装というものを理解した上でのそんな若さ故の主張のほとばしりならば特例として微笑んで見守る。それを行う理由をきちんと言えるのならやればいい。じきにそんなことは難しくなるのだから。しかし袴を身につける学生たちの多くはそんな思いなどないだろう。

 
 相手に礼を尽くす気持ちより「安心」を優先するという現実は、私にとっては違和感を通り越して嫌悪感に近いが、もう日本人は礼装というものが、何がなんだかわからなくなっているし、それでいいと思っているのかもしれない。そういえば先日の天皇陛下ご即位の儀式に参列した我が国宰相夫人のお姿もネットで叩かれているけど、彼女や周りの人は少々思慮不足だったのかなぁ。