孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

幸多からんことを

 美容学校の役割とは、一般論としては美容師を育成する教育機関である。しかしそこに勤める我々は、生徒たちを取り巻く様々な家庭の事情、またそれに伴う人間模様や悲喜劇を目の当たりにする。高校や大学では働いたことがないので知らないことながら、友人知人、また同業異業種の情報を総合しても、美容学校に通う生徒たち一人一人の置かれた立場は、かなりバラエティに富んでいると思う。我々教職員はその中で今日も駆けずり回っている。


 さて、昨年Yさんという1人の美容師が そんな我が校に教員として入社してきた。美容学校の求人には、通常現場の美容師が応募してくる。我が校でも毎年 年度末には数名の退職者が出て、逆に入社者がある。入社希望者の理由は色々あるが、表面上は「人を教えることが好きでやり甲斐を感じられるから」といった志望動機を口にする人が多いが、本当のところは美容室での仕事に疲れてしまい もう少し楽な仕事は無いものか、と考えていたら 美容師の資格を活かしながら土日祝が休みで残業もほぼない学校への勤務もアリかな、、、? と思いついた という人がほとんどじゃないだろうか。しかし実は他にも色々な事情があったりする。その年の春から小学校6年生になる女の子の母親であるYさんもその内の一人だった。


 美容師でさえ知っている者は少ないことだが、美容学校で実技指導をしようとすれば、美容師免許以外に特別な教員資格が必要となる。その資格とは東京での講習を約2週間 連日受講し、さらにその後実施される修了試験に合格しなければならないというものだ。我が校に入社した新人教員には全員その研修に参加してもらうことになっているのだか、そこで問題が発生した。Yさんは2週間も家を空けられないと言う。入社前に担当よりその研修参加については説明していたものの、いざ実際となると自分自身がこの仕事に慣れるまで、そして繊細な思春期真っ只中の娘さんにも母親の仕事のことは影響してしまうため どうしても家を長期に空けたくない、少なくとも今年度は参加を見送らせてほしいとの要望だった。しかし東京での当該講習は1年に1度しかない。今年受講しなければ来年夏までの長期間 Yさんは生徒指導ができないことになる。
 異例の申し出に私は戸惑った。研修の話は聞いていないはずはないのだが・・・? しかしそう思うのも無理のない事情が彼女にはあった。ウチに入社する4年前、当時小学校2年の娘さんのちょうど夏休みに、Yさんの体にタチの良くない病魔が舞い降りたことが検査でわかった。彼女は左胸をガンにおかされていたのである。奇しくも市川海老蔵さんの奥様である小林麻央さんが同じ病にかかっていたのと時期が重なっているのだが、Yさんは検査の2か月後、進行が早く転移も心配される乳ガンから自らの命と家族の生活を守るため、左乳房をリンパ節とともに全摘出していた。医師からは一部組織を残せる旨の説明を受けていたが、彼女は良くない可能性を完全に断ち切るため、特に女性にとっては悲痛ともいえる決意をすることに踏み切ったのだった。
 誤解を恐れず言うなら、命というものは、自分一人ならもしかしたらそれ程重たいものではないのかもしれない。しかし守るべきものがある時、その重さや大切さは100倍にもなる。守らねばならない対象を残しては 意地でも死ねないのだ。それが我が子であれば 尚更である。


 少々美容師の専門技術の話にはなるが、毛髪をカットするためには、鋏とは逆の手で毛髪をホールドしておく必要がある。伸ばした指(チョキの形)ではさんだ毛束を切るのだが、その手の位置を決めるのは上腕の角度である。技術と接客を心から愛していたYさんにとって、美容室の現場を離れることは何より辛いことだったが、左手を肩の高さ以上に上げなければならないスタイルも多い。彼女は左胸の筋肉が無いためそれができなかった。そこで苦渋の決断ながら、美容学校での勤務にシフトチェンジしようとしたのである。学校ならば 接客はできないまでも 美容という仕事の空気に接することはできる。


 しかし どうして入社したのに講習を受けないのか? 学園がそう判断すれば、彼女をウチで預かる必然性は無くなってしまう。私は本部の責任者と相談し、彼女の退職をなんとか回避するために教務課から事務課への異動を画策した。そうするしか彼女がウチに残れる方法はないと思ったからである。幸いなことに彼女は異動を承諾してくれた。しかし慣れない事務の仕事であり予備知識も経験もない。そればかりか学校特有の項目である 奨学金のこと、職員の労務管理のことなど、彼女にとっては困難な業務ばかりが連続する毎日だったが、若い美容師の成長を間接的にではあるが感じられるポジションだと自分に言い聞かせ、Yさんは愚痴一つこぼさず、いつも前を向いていた。常に自分の知らない知識を貪欲に吸収しようとしていたし、「できない」とは口が裂けても言わなかった。何を打診しても「やります」としか言わず、いつも笑っている。ここまで前向きで意志の強い人は正直私は今まで見たことがない。当たり前だがそんなYさんはみるみる知識を身につけて、程なく我が校にとってなくてはならない存在になっていった。


 そんなある日、彼女の口から思いもよらない意向を聞くことになった。退職したいというのである。私は動揺した。今彼女に辞められるのは大打撃である。何が悪かったのか? 何かを改めることで思いとどまってくれるなら改めようと思ったのだが、彼女の口から出てきた退職理由は、私にとって「それならチャレンジしてみろ!」と背中を押したくなるものだった。彼女が目指したのはアイリストだった。知人に勧められてトライしてみたら、ウイークポイントである左胸の筋肉が無いというハンデがあっても何とか技術を行うことが可能だということを Yさんは発見したのである。元来技術による接客が天職だと思っている人である。一度は諦めた接客現場に再び立てる可能性は、彼女にとって一条どころか目も眩むような光として輝きを放った。業務において痛手だからといって 私が慰留する理由などあろうはずがない。


 間もなくYさんは我が校を去っていく。大変惜しい人物を「一旦」失うが、今後何年経ったとしても、彼女の人生の選択の中で 何かの事情があって再び学校での仕事に戻りたいと思った時には、私が本学園に所属している限りいつでも両手を広げ、迎え入れたいと思う。