孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

教育?

 私は美容師である。とはいえ美容室でサロンワークをしているのではないし 撮影現場でモデルのヘアメイクをしているわけでもない。美容サロンで約8年美容師として働いていた私は、26歳で結婚してすぐ、以前の上司に誘われてひょんなことから美容学校に身を置くことになった。当時の美容学校生といえば、自分の人生に夢を持てない 刹那に生きる若者たちが多数を占めていたと言っても言い過ぎではなかったし、卒業した生徒たちが身を置く美容業界は、労務環境や福利厚生などを語ることは笑いに繋がったし、その履行について真剣に考えている経営者がもし存在するなら 相当な変わり者だと思われるような時代だった。

 学校は担任制だったため、就任早々1つのクラスを任されることになったのだが、私自身、独立し サロン経営者になる前に、数年程度美容学校での指導経験もアリかな くらいのノリで始めたナメたスタートだったため、指導するという行いの難しさを その後存分に思い知ることになった。毎日のように校内で起こる様々な出来事に翻弄され続け、美容室で集客や売上げのことを考えていれば良かった店長時代を懐かしく思ったものだ。店長時代はそれはそれで死ぬかと思うくらいしんどかったんだけど(笑)

 不覚にも妻の前で涙をこぼす日もあった新人教員時代。こんなにも辛いものなのかと思いながら教壇に立ったあの日から30年以上経った。美容業界は劇的に浄化され、美容師という仕事も人間味のあるものとなった。今や泣く子も黙るブラックな職場は一部の悪徳企業を除いて過去のものとなりつつある。そして腰掛け教員のつもりだった私は、縁あって今 その学校の校長をさせてもらっている。

 仕事柄なのか「教育」というものを仕事にしている人の講演やセミナーを受ける機会がしばしばある。しかし甚だ不遜ながら 私たちにご教授くださる講師の方々の教育観は ほぼ全て甘いと感じる。そんな上っ面の指導ではウチの生徒はついてこないだろうと 聞いていつも思う。そのような方々が「指導に苦しんだ」と仰る経験など、美容学校教員の汗と涙の苦労に比べたら、失礼ながらなんともしょーもないものだ。偉そうな教育者の さも全てを知っているかのような物言いにはいつも鼻白む思いがする。悪いけど 教えるのはあなた方ではなくこっちじゃないか? あなた方の学校で働いている先生を全員揃えなさい。こっちが教えるから。と、ここまで言ってはダメだな(笑)

 さて教育とは一体何なのか? その世界の人間でさえ 案外本質的な部分はわかっていないのではないだろうか?もちろん私も最上段から「これが正解だ」と言えるわけはないが、教育というものは 指導者の持っている知識や技術を「伝授する」ことではないということは間違いない。伝授するだけなら 教えてくれた指導者以上にはならない。結局魚を与えるのか釣竿を与えるのか の例え通り、魚を与え続けているのが良い教育だという考え方をやめなければ、食べ物を得る力は身に付かないではないか。自分で考えて自分で動こうとするきっかけのみ与えることこそ 指導者のあり方なのだと思うが、その意味では 現在の小中高(特に公立)の指導の根幹にある 「与える教育」では、子供たちに生きる力、ひいては社会競争力など養えないと思う。我々専門学校は、枠と型にはまった教育を浴び続けた人を受け入れる。そんな現代の若者たちは「答えがない」ことが受け入れられない。頑張ったのに報われないとか、理由がわからないまま不合格になった、のような「答えがない」ことは彼らのこれまでの人生における常識から外れているのだ。

 ともすれば教育者が陥ってしまうポケットは、答えを求める若者に対し正解を与えようとしてしまうことなのだが、(専門)学校の目的が「考えさせること」ならば、答えなど要らないことも少なくないのだけれど。教員自体が現代の若者なのであり、このことはなかなかわかってもらえない。

 自分の無力にアタマが痛い。