孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

若者は「普通に」「大丈夫」なのだろうか

「普通に」

  ショートボブの男芸人が、ワキ汗をかきながら 自分はゴッホピカソよりラッセンが好きだと腰を振って踊っていた日からしばらく経った。どうでもいい話だが彼の髪型を見て 故南田洋子さんを思い出した私は古い人間である(笑) ゴッホピカソラッセンだから 時代も画風も全く違うので比較するのはどうかとは思うのだが、きっと彼なりに何か強いこだわりがあるのだろう。最近あの方をTVでお見かけしないが、お元気でお過ごしだろうか。その芸風はリズムに合わせて 逆側の手で髪をかきあげた後、好きな画家を叫ぶだけのものなので 誰もが それがどうした? と思ったことだろう。しかし画家の好き嫌いはともかく、初めて聞いた時に 私は「普通」という言葉の方に反応してしまった。「へぇ そんな使い方をするのか、、、」と思ったものだ。

 

   以前から「普通に」に違和感を持ってはいたが、この言葉が若い世代を中心にした用法だからだろう、学校に勤めている私はしばしばこれを耳にする。でも世間の人が日常的に使うようになったのは 肌感覚だがここ10年ってとこじゃないだろうか。

   例えば「あんた、年上の彼氏やったら何歳位までOKなん?」に対して「10歳上くらいやったら 普通にストライクゾーンやで」のような使い方や、「あの辺の道、めっちゃややこしいから普通に迷うで」のようなもの、またトカゲ肉入りのチャーハンを食べた関西芸人が「初めはエーッて思ったけど 普通に美味しいんですよ!」っていうのもある。これらはきっと ❝ 大層な覚悟は要らない ❞ とか  ❝ 誰もが同じだろうと思うけど ❞ みたいに、『特別じゃない』というメッセージを含んだワードになるんだろうか? うーむ。5000歩ほど譲って、変だとは思うんだけど このあたりまでなら なんとか許容できる範囲だといえる。でも「ゴッホより普通にラッセンが好き」はちょっと違う。明らかにムダに後の言葉を形容しているように思えるのだ。ゴッホという人は大変有名で素晴らしい画家だけど、私は比較検討することもなく一択でラッセンが好きです、なのかな?

   若い世代が使うこの「普通に」にいかほどの意味があるのだろう。 どうしてこの言葉を付けなきゃいけなかったのかが 私は普通にわからない(笑)

 

 

「大丈夫」

   もう何年も前になるだろうか。とあるコンビニで買物をした時のことである。小銭を持ち合わせていた私が、釣り銭がいらない金額をトレーに残してその場を離れようとしたその時だ。立ち去る私にレジの女の子が「レシートは大丈夫ですか?」と尋ねたのである。私は困った。レシートが大丈夫? ここのコンビニ店員はレシートがどうなっているのかの心配までするのか? 一瞬色々な「大丈夫」の可能性を考えたが、理由がわからない。私も「え?」と聞き返したが その女の子は顔色を変えず再び言う。「レシートは大丈夫ですか?」。不覚にも私は「はい」と答えてしまった。だって私の知る限り、レシートが大変なことになっている事実は確認できないもの。しかし本心からワケが分からなかった私は、後で娘に聞いて意味を知ったというマヌケな話だ。

 

   どうしてもこの「大丈夫」の使い方は間違っているし、違う意味の言葉なのに強引に別の場所で使うものではないと感じてしまうのはきっと頭が固いからなんだろう。ところで私は 仏像という 年齢に見合う趣味があって、当然それに関することには造詣が深い(笑)ので 仏像の世界にも頻出するワードである「大丈夫」の「丈」についての知識を若干ひけらかしてみる。仏像の大きさを表す基準において、丈六 (一丈六尺,一尺が約30センチで一丈は3メートルなので 丈六は約4.8メートル) という指標がある。面白いことに仏様の身長は約4.8メートルだ。仏様 = お釈迦様は今のインドにあった小国に実在していた人物だから、ちょいとデカ過ぎるんだけど(笑) または生きている時にはそうじゃなかったんだけど、悟って仏の姿になった時に急にデカくなったのかな? まぁどっちでもいいけど。ちなみにこの丈六像より大きなものを「大仏」と呼ぶ。

   調べてみると丈夫(じょうふ)というのは一人前の 心身ともにすぐれていて頼りになる男のことを指す言葉だ。だから大丈夫っていうのは 丈夫がさらに大きくなった表現なので、より安心だってことかな。そんな成り立ちを考えると今の「大丈夫」は全く大丈夫じゃない(笑)

 

   結論。「レシートは大丈夫ですか?」に対する正しい答えは「手元にないので 私にはわかりません」であろう。

 

 

   しかし言葉は変化するものでもある。もし現代人が奈良時代にタイムスリップしたら言葉はほぼ通じないというではないか。よく「言葉の乱れ」というのが話題になったりするけど、それは乱れではなく変化でもあるのかもしれない。そしてそれが歴史の流れであるならば、文句を言うのも控えるべきか、、、。