孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

自宅外での禁酒法成立希望

 酒を飲まない。正確には外では酒を飲まない。酒の席は嫌いである。バブルの頃「飲みニケーション」などというおぞましい言葉が流行った時には、聞いただけで胃炎になりそうだったし「まぁまぁ、そんな仕事のことはもういいから、ほらまず一杯!」みたいなやりとりに対しては拒絶しかなく、全身に鳥肌が立つ。そんなことを口にする奴らからは走って逃げ出したいくらいだ。しかしこの酒の上での独特のだらしなさというのは、田舎であればあるほどいい歳をしたじじいまでもがグズグズになってしまっているから、本当に始末に負えない。船井総研あたりに「飲み会に参加した全員が快適に過ごすための自身のあり方」といった内容の研修というものがあるなら、それを受けなければならない人は、日本全国にきっと1000万人近くいるんじゃないだろうか?

 思い切ることが出来ないから酒の力を借りて‥‥という考え方、酔ってたんだから大目に見てやれよ‥‥という考え方、◯歳にもなって酒も飲めないのか‥‥という考え方。全てクソみたいな価値観だ。酒量を自慢するようなバカも少なくないが、そんなバカほど吐くまで飲んだりするのだ。どうして吐くまで飲むんだろうねぇ。飲み会の後、繁華街の一角で集団でグダグダするのは若者の最もダメな部分の一つだけど、その中には必ず1人や2人はゲロッてる男女がいるものだ。人前で酔いつぶれてしまうことを醜態だとも恥ずかしいことだとも思っていないようなそんなウンコがいるから、休み明けの街にはあんなにゲロがあるんだろう。そしてそれを片付けなきゃいけない人もいる。•••それは私だ(笑)! うちの学校は繁華街の中にあるからね。何が悲しくてバカが勝手にゲロッて放置した汚物を朝から片付けにゃあならんのだ?

 ひとつこれだけは言っておきたいことがある。一気飲みは犯罪だってことを。あれは暴行であり傷害である。愚行であり非常識である。そんなことをやる奴は人でなしであり精神異常だし、生きている価値などない上に救いがない。あんないじめをいい年の大人がやるべきではないことは自明の理だ。DQN系の人たちはゲームとセットにしたこの蛮行が大好きみたいだけど、あの掛け声を聞くだけで、そ奴らを柱に縛りつけて鼻の穴に爆竹を突っ込んで火をつけたくなる。最低10連発でやってやりたい。他人を痛めつけて喜ぶような、心が貧しいクズでカスなバイ菌はせめて他人の邪魔や迷惑にならないように生きてほしい。いや、生きていなくてもいい。

 今年もまもなく忘年会シーズンがやって来る。こういった上司のためのセレモニーでは、仲間意識を測る踏み絵が同時に行われているようなものだ。「私は参加しない」と言ってチームワークを乱す奴は誰だ!?といった目であたりを見渡すのは、何もその組織の長だけではなく、職場の催しには全員が参加しないといけないと頑なに信じる古参社員こそ急先鋒だったりする。しかしそもそもなんで忘年なんだ?なんで忘れなきゃいけないの?忘れるために飲まなきゃいけないの?日本中で巻き上がるあの狂乱の意味を、もし外国人に尋ねられても、私は説明の言葉を持たない。何故あんなことになってるのかがわからないから。

 新年会も全く同じだと思うけど、我が職場ではかなり前に忘年会、新年会という催しはやめた。さらに送別会や歓迎会も無い。その2つは残念ながら、送り出す人や新たに仲間として迎える人のための会ではないことにある日、気づいたからだ。考えればこれ程失礼なことはない。親睦会は年に数回あるが、参加は自由にしている。そこになんらかの圧がかかってしまうのはご法度だし、参加した宴においては、新入社員(教員)の横で「上役にお酒をお注ぎして『これからよろしくお願いします』って挨拶して来い!」みたいな無用のアドバイスをすることもやめさせた。そんな職員も以前はいたが、「飲み会ではお酌や挨拶のために席を立つな」という啓蒙活動が功を奏したのか、今は皆無だ(と信じたい)。