孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

エンドロール

 母に会うために千葉県の木更津まで行ってきた。前回と同じ病院併設の老人福祉施設だったが、前に訪れた時には、母は私がなぜそこにいるのかを理解できなかったものの、かろうじて自分の息子であることは認識できていたようだった。しかし今回はベッドに寝ているだけでずっといびきをかいていた。義姉に聞くとここ最近はもう毎日ほとんど寝ているだけだという。私が何より驚いたのは、母の顔つきがほんの数年前までとは変わってしまっていたことだ。旅立ちは近いと思わざるを得なかった。

 母の人生は波乱に満ちたものだった。今は毎日夢の中にいるのだろうか。そしてこれまでの人生を再生しながら振り返っているのだろうか。一時停止をしたり巻き戻しをしながら。もしそうならきっとあの頃を何回も見てるんだろうな、という確信できる時代がある。私の家族がいわゆる一家離散になる前までのほんの7,8年間である。その社宅は広くはなかったがそこに住んでいた時代、母は毎日楽しそうだった。怒ると怖かったけど、ご近所や自身の親兄弟に対しても、姉御肌の性格は豪快で気持ち良かった。決して裕福ではなかったけど、私たち兄弟も笑っていることの多い毎日だった。父が冗談を言い、母は料理に腕を振るった。私たち兄弟は毎日外で遊び、プロレスやアニメにも熱狂した。

 そんな生活から数年後、私たち家族を置いて母は男と逃げた。しかし人の道を外れたそんな行いは長くは続かないものだ。罪悪感に苛まれ、進むことも戻ることも出来ず行き詰まった母。さらに「お前など生きている価値は無い」という自分自身の良心の声に耐えられずに、最後はその男と別れて一人、自らの人生を終りにしようとした。まるで瀬戸内寂聴さんの若い頃のような話である。未遂で見つけられた母。運ばれた入院先に見舞った後に自宅で私と兄が2人で過ごした数週間、なぜか兄からは「絶対泣くな」と言われていた。兄は部活を辞めた。そして2人とも友達と遊ぶ時間は無くなった。協力して学校と家との往復の暮らしを成り立たせるためである。
 
 入院生活を終え、紆余曲折はあったものの結局母は狭い私たちのアパートに戻ってきた。子供の私は違和感を持って母を迎えた。どんな顔をしていいのかわからなかった。他人が家の中にいるような感覚だったのかもしれない。

 母を恨んでいた時期は長かった。今もまだどこかで許していない部分があるのかもしれない。しかし小さかった母が、より小さく小さく小さくなってベッドの上に横たわり、口をポカンと開けてる姿を見ると、もうそんなことはどうでも良くなった。ほんの数年前に見た時よりずっとくたびれてシワくちゃで、目も口も落ち込み、変わり果てた姿は見ているだけで辛かった。

 思えば人生は短い。色々なことにまみれて忙しくしている間に何もできないまま終わってしまう。もっと生きていて欲しい人ほど若くして亡くなってしまう気がするのは皮肉だ。
 そして逆に、人生は長い。神が与え賜うたこんなに長い寿命に何か意味があるとすれば、我が子を愛するための時間なのかもしれないと最近になって思う。