孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

ド演歌という病

 曲を制作される仕事や、さらにダイレクトに歌手の方々にとっては怒り心頭に発する話かもしれないけど、俗にド演歌というもののリズム、またメロディパターンはきっと何10年近く狭い枠から出ていないのではないだろうか。「男の◯◯」や「◯◯岬」みたいなタイトルの曲が多い。また着物を着た歌手が歌う曲は、ほぼこれにあたる。

 曲を作ろうとすれば作曲者が必要だが、ド演歌の場合、なんせパターンの中から選び出しているだけなので「作」曲ではなく「選」曲または「抜」曲でしかないと思う。昔同僚(学生時代からライブ活動をしたり夜の酒場で歌っていたいわばセミプロ)と、ド演歌のイントロのメロディを、4小節か8小節分だけ、口で奏でながら交互に繋げていくゲームをよくやった。これがまた永遠に続くのである(笑) どこかで聴いたかもしれない、ありがちなメロディの並べ替え作業など、創作では絶対ない。

 かの高木東六氏も同じようなことを仰った。決して彼に心酔している訳ではないが、千年一日の如きド演歌作曲の世界にどうして彼以外、どこからも疑問の声が聞こえて来ないのだろうか。確かに美しいメロディの曲は演歌の中にも存在するだろう。しかしながらそんな名曲は “さびれた漁港にある小さな居酒屋の女将が、一人折り鶴を作って来ない男を待つ(笑)” のような古来より連綿と受け継がれた世界を歌ってはいない。

 こんな宣言をしたところで何にもならないし誰も得をしないけど、私はパターン化したド演歌なら幾らでも作れる、と豪語しよう(笑) イントロを含めても毎日1曲ずつ作れる。1年で365曲だ。いや「作る」訳ではないけど(笑)