孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

プラスチック一考

 レジ袋が有料になってどれ位経つだろう。私は袋が有料になったからこそあのレジ袋というものの価値がわかった気がする。あの袋、日常生活においては有用性が高い。なんとなれば家のゴミ箱にかける、生ゴミを取る、旅行で洗濯物を入れたりするのにも重宝する。キャンプには不可欠だし、子供のいる家庭ではあれ無しのお出かけなど大惨事にもなりかねない、最も重要な持参物の一つであることに異論を唱える者などいないだろうと思う。そう、買い物を終えた後のあいつの実力ははかりしれないのである。私たちはあのレジ袋の汎用性の高い便利さを捨て、バカでかいマイバッグを使い回して得したような気になって使っているのではないだろうか。

 今までタダで貰っていたから気づかなかったのだが、貰おうとすれば金がいることになって世の中では総マイバッグブームが起こった。しかしよく考えてみるとマイバッグに高い代金を払うことは果たして得になるのだろうか? 保冷機能の付いたものは平気で3千円以上、ただの大きなビニールバッグだって500円はするのだ。そう考えると3円や5円で買ったとしても高くはないのではないかと思い始めている。最近では洋服屋でさえマイバッグの有無を尋ねられるが、私個人としては例えばお気に入りのシャツを買ったらその店のカッコいい袋に入れてもらって、「買った気分」で帰りたいなぁと思うのである。持参のズタ袋に入れて帰っても、なんとなく気持ちはアガらないと感じるのは私だけか?

 

 海に捨てられたビニール袋がウミガメの命を奪うとマスコミが喧伝すれば、人間 (特に日本人 )の特性でビニール袋はダメだとなり、直接の関係はないのかもしれないが今度は鼻にプラスチックのストローが刺さったウミガメの個体が見つかり、今や紙製のストローを提供するのが「環境に配慮している」カッコいいカフェということになっている。もちろんプラスチックのゴミで命を落とす野生動物もあるのかもしれないが、私はとにかく話題を作り、騒ぎにしたいマスコミの印象操作なんじゃないかな?と密かに思っている。しかもあの紙のストローは臭いが嫌だし唇にくっつく。そもそも世の中にはプラスチックのもので溢れてるではないか。ストローだけをやめたって、街で見かける容器、例えば店でお持ち帰り商品を買えば、ほぼ100%プラスチックの容器に入れてくれる。それなのにどうしてストローだけがやり玉にあがるのか。その他のプラスチックに声をあげないのはなんでだ?このあたりにマスコミに主導を取られていて、さらに追従しかせずにいざターゲットと見れば一点集中で総攻撃をかける人間の自分勝手でしかも残酷なエゴを見る。意志を持たない烏合の衆なら烏合の衆らしく何も言わずにおとなしくしておけばいいと言えば言い過ぎか。