孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

 ff外から失礼します

 いつもの頃からか流行りのようにメッセージの前にこれをくっつける人が少なくない。誠に失礼無礼不遜な物言いながら、どうしてこんなことをいちいち断らねばならんのだろうと常々感じる。礼儀? ffの関係じゃなければモノが言えないのか? そもそもTwitterなどのSNSなどというものは、ネット上の公開掲示板のような物だと思っている。人としての常識・良識に照らして、差別や人権に問題がある書き込みは厳に慎むのは当然のことながら、感想、意見、主張などは自由に言えばいいではないか。「ff外から失礼します」と断らねばならない背景を改めて考えてみると、この言葉をくっ付けて何か書き込みをする人は2種類に分かれるという結論に達した。


 1.自分がそれをされたら腹が立つ
 2.なぁんにも考えておらず、みんながしてるからそうしてる


私は1の人も2の人も、それぞれにおかしいんじゃないの?と思う。


《1.自分がそれをされたら腹が立つ人》

日本人はネガティブフィードバックに弱い民族だと言われるが、他人を気にし過ぎな人が多いなぁと常々思っている。突然予想外の他人が会話に入り込んできてもそれが自分の意見に肯定的、または褒め言葉だったら、きっと失礼だとは思わずに喜ぶんじゃないのかな? 違う見方や意見があることなど当たり前のことなので、自分が否定されるのが嫌だからといって相手に「否定しないでください」とお願いするのは筋違いだし、他人に対して反対意見を言うもんじゃないという考え方も変だ。 もしそうではなくとにかく知らない人からのコメントは失礼だと思うから、ff内でしか会話が成立させたくないなら、グループラインのような便利なものもあるんだから、それでやったらいい。


《なぁんにも考えておらず、みんながしてるからそうしてる人》
仕事をしていて一番仕事の成果に期待ができないのがこのタイプだと思う。失礼ながら「烏合の衆」に類する人たちだ。主体性とか当事者意識とかといったものとは対極の住人である。しかし2-6-2の法則に当てはめてみれば、世の中の人の60%はこの「周囲追随型タイプ」なのである。この人たちは基本的に頭を使わない。いや、自分のこと以外には頭を使わないというべきか。誰あろう偉そうにウンチクをたれる私も、項目に応じてそんなタイプになってしまう。しかし多くの人はそうなのかもしれない。自分の得意とするところ、好きなこと、出来に応じて何らかの報酬が絡むものにのみ張り切る人は少なくない。ま、何をさせても当事者意識のない、存在しているだけのような人はいるけどね。