孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

良い先生

 「この時〇〇さんはさんは何を感じたでしょう」とか「これを見て◯◯君はなぜ泣きそうになったのでしょう」などという設問があった時「わからない」という答えを書いて✖️になった、、、みたいなウソかマコトか知らない話が、昔から消えずに生き続けている。誰あろう私も解答欄にはそう書くべきだと思っている。解る訳がないではないか。
 私の下の子供が小学校4,5年の頃、この問題に遭遇した。国語の授業時間にこの類のことを担当教員から問われ、やはり「わかりません」と答えて、時間中ずっと立たされていたという話を後で知った。私の息子の態度や答え方もあったのだろうが、その先生、息子の答えにかなりヒートアップしていたらしいことが、同じクラスにいる子供たちもそれぞれ親に言うから、回り回って私の妻の耳にも入ることになったわけだ。

 私は子供に「どんな感じやってん?」と聞いた。息子いわく、「どう考えてもわからん」って答えたらな、◆◆先生な、「『まじめにしなさい!立っとき!』って言うてん」「へぇ、ほんで?」「授業の間な、何回も『もうわかったか?』って聞くねんけどな、そのたんびに、『やっぱりわかりません』て言わなしゃーないやろ?」。「ほぉ、それから?」「先生な、『素直に答えなあかん』って言うねん。でも俺な、わからんからわからんて言っただけやねん』」。私は言った。「そらそうやな、お前は正しい」と。
 この先生、それからと言うもの、接する機会がある毎に息子を馬鹿にしたり無視したりした。自分になびかない可愛くない子供だと目の敵にしていたのだが、大人気ないし、教師としてはあってはならないことだ。神戸の須磨で起きた教師による同僚へのいじめ問題はまだ記憶に新しいが、全く関係のない案件ながら、私はこの教師の人としての出来に、あのアホ教師と相通ずるものを感じた。教師という人種の多くは教師しかしたことがない人が多い。自分の職場が世の中の全てで、それが社会の常識であるから、一般社会の感覚とは大きくずれていることも少なくない。教室は密室であるとはよく言われることだが、当の教員自身の中にはそれが何のことかわかっていない人も少なくない。

 「良い先生」とはよく聞くフレーズながら、その定義をわかっていない教師、またその実現の方法を間違ってしまっている教師は多いと思う。仕事で高校に訪問もするが、我々専門学校とは「良い先生」の認識が違う教師を見ると驚き、またため息が出る。以前訪問した、とある高校の職員室にて見た光景を紹介したい。応対してくれた進路指導部長が、ある先生を指し示して「あの先生は人気が有るんですよ」と教えてくれた。見ると確かにその若い男性教員、2,3人の女子生徒にまとわりつかれている。するとその中の一人に対しその教師、「△△、お前授業で寝てること多いやろ!?」と笑いながら言った。それ位なら日常的に交わされる会話だとは思うが、その△△の部分には女子生徒の下の名前が入っていたのである。しかも生徒たちからも自分のことを「■■ちゃん」とあだ名で呼ばれているではないか! この先生は一体生徒に普段何を教えようとしているのか?社会における競争力を身につけて卒業させるのが仕事の我々のような学校にいる人間から見れば、ケンシロウではないが、この教員、このまま変わらなければ「もう死んでいる」。
 しかし。この状況を破滅的と思わない一群もきっと多いだろう(我が校に入学してくる生徒たちが発信する、母校のことや先生のことを聞けばそれはわかる)。「仲が良くって、慕われてるから良いんじゃないの?何がダメなの?」という考えによって、生徒たちが社会競争力を身につける機会はどんどん減っていく。しかし小学校程度ならそれもいいのかもしれないが、高校生にもなって、最低限社会に必要な生き方考え方も教えないで、生徒と友達のように過ごしている教員のことを「良い先生」と呼べる訳がないと私は思うのだが違うだろうか?