孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

オンライン

コロナのせいで「オンライン◯◯」と称する、通信でのコミュニケーションが急に広まった。会議にパソコンで参加する、あの無機質な画面にも最近やっと慣れてきた気がする。しかしこう言っちゃ元も子もないが、ああやって画面で参加してもらっても「参画感」(とでもいえばいいのだろうか)はあまり無い。リアルタイムで繋がってはいるんだろうけど空間を共有できている訳ではないし、そうやって会議に参加していても、私に言わせれば残念ながらその人はただ存在してるだけのオマケの域を超えない。

我が校でも私立中高や大学のように授業をオンラインでやったりしたが、あれはよほど力量のある教員でなければ、画面の向こうにいる電線や電波だけで繋がっている生徒たちを引きつけ、また引きつけた状態を維持することは困難を極める。受講者はものの15分もすれば緊張感を失いその状況に飽きて、自宅でテレビを観ているような顔になる。だから私はオンライン授業の教育効果には否定的なのだが、逆に世の中にはオンラインという形式に抵抗もなく、受講者の習熟度に関しても問題とは思っていない人が存在する。そんな考えの人の中でも特に非現実空論主義者(笑)などは、この先学校には校舎などいらなくなるのではないか?とのたまう御仁も存在する。全てがオンラインで済むから生徒が一堂に会する学舎は不要だといった、私に言わせればアホとしか言いようのない理由からである。しかしもし本当にあらゆることがオンラインで事足りるのならオリンピックだって参加選手をどこか1ヶ所に集めるという形式ではなく、いっそオンラインでやればいいのではないか? それぞれの国の競技場で行った同種目の記録を集計して順番をつければ、陸上や水泳など個人のタイムで競う競技を行うことは理論上可能である。オマケに各国選手の開催国までの距離の不公平も解消される。競技を行う上での条件が違うからダメだという意見も聞こえてきそうだけど、条件を規定化して本部で一括管理すれば不可能ではない。そもそもこれまで通り一ヶ所で集まってやったところで、競技ごとに細かな有利不利なんか数えたらキリがないし、所詮平等な条件設定など無理な話なのだから。オンライン授業には問題は無いが、オンライン競技会は不可能だという根拠を聞きたいものである。