孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

校長の授業

我が校では年に何回かではあるが、校長の私が授業を行う。いや別に教員が足りず、私が手伝わなければまわらないってことではないのだが。

今の中高生は教頭でさえほとんど生徒と接することがない。ましてや校長が授業を行うとなるとレアケースどころかあり得ないことである。生徒にとっては校長先生という生き物は、一日中校長室にいて何をしてるのかわからない。たまに全校朝礼や始終業式で、どうでも良さそうな退屈な話をするだけであり、生徒自身の生活においては全く関係ない存在でしかない。

で、なんの授業をするねん?ということになるのだが、年度始めに必ず取り上げるテーマ、それはズバリ性教育である。20歳そこそこの若者(女子が3分の2だ)に、1クラス1コマずつ全クラス授業にまわる。なんとなれば望まない妊娠で退学する生徒が毎年必ずいることを防ぎたいという直接的な理由もあるが、その前に子供から大人に脱皮するということを、ダイレクトに若造たちに突き付ける授業だ。毎年助産師なんかに来てもらってその手の話は聞かせるのだが、それらを一言で表すなら生っちょろいのである。愛や命を教えるための修飾語に、尊さ、感謝、敬意などという美辞麗句がうるさい(笑)  きっとそんな教えは見栄えの良いクッキーの詰め合わせみたいなもんだ。若者の魂にアプローチするにはきれいすぎる。私が狙うのは全く逆で、新世界のホルモンうどんとでも言っておく(笑)  いや我が校が実践教育をスクールポリシーに掲げているからといって、実技指導をするわけではない(笑) ・・・ってこれはセクハラだな。

ええ歳した私のようなオッさんが行う授業だ、きれいであるはずはないが、私にはある自信がある。それは授業が始まって10分もしない内に全員(1クラス30人、2クラス合同だと60人だ)を引き込み、完全に生徒を集中させるというものだ。涙もろい女子生徒なんかは自然に涙をこぼすような時間を目指したい。授業というものはきれいで表層をなぞるだけでは生徒の心に突き刺さらない。やっぱりホルモンうどんでなきゃダメだ(笑)