孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

小山田氏のこと

 小山田氏の学生時代のことが大きな問題になっている。SNSでも大炎上だ。彼への攻撃は辛辣である。記事が真実なら鬼畜そのものには違いないが、鬼の首を取ったように後から後からかぶせてくるヤツらもまた多いこと多いこと。「イジメはダメだ」といいながら、本人はおろか彼の子供にまでその矛先を向けて「父親のことに沈黙しているのはその行いを容認してることだ!」と息巻く連中は一体何なのだ? それこそイジメ行為ではないのか? きっと小山田氏を攻撃している人たちは「あんなひどいことをしたヤツなんだから、責められて当然だ!」くらいに思っているから、自分がイジメをしているのだとは露ほども思ってはいるまい。日本人の悪い特性で、ある人が悪いとなったら全員でその人を責める。責めている本人は自分を正義側に置いているから悪いなんて思うはずがない。しかし私は思う。「お前らも一緒やないの?」と。

 

 改めて言うが、たとえ悪事を働いたことが明るみに出た人に対してでも、自分は微塵も関係していないくせに周囲の意見に乗っかって対象の人や、まして家族を執拗に責めるのはイジメでしかない。「私にも子供がいるから許せない・・・」などと、さも自分の攻撃が正当なことのように自己擁護するのはズルいし、人の振る舞いとしては低俗だと思う。「ひどいヤツだ!」と思うのは自然なことだが、その思いをエスカレートさせ、攻撃の矢を広く世の中に対して放ってしまうのは品性がない。

 

 論理が飛躍しているのかもしれないが、「寄ってたかって責めること」や「寄ってたかって笑い者にすること」に抵抗のない人は、自分のことは棚に上げるという特性があると思う。そのタイプの人は自分を客観視できないし、決して相手の立場で物事を考えない。例えるなら誰かに対していつでも笑えるように、またいつでも攻撃できるように 物陰に身を潜めて状況を見ているが、普段はその他大勢でしかない人だ。 私が「ドッキリ」と呼ばれるTVプログラムやフラッシュモブ、サプライズの類いの行為を好まないのはそんな理由からだ。他人の不幸を見てエンドルフィンが分泌される人からは、私は距離を置きたい。