孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

失禁

 妻の人生はとんだ災難の連続であるのかもしれない。身体障害に加えて精神障害があり、身体の機能は徐々に後退しているのがわかる。精神疾患発病以後は体を使うことが少なくなったからか他の要因も関係するのか、指先を使う細かい仕事  ➖紐を解く・小さなボタンの掛け外し・小銭の出し入れなど➖  が苦手になってきた。躁期には(こんなことやってられるか!)と投げ出すし、反対の鬱期には(こんなこともできない、、、)と落ち込む。

 更年期でもあるから体には色々なことが複合的に起こるが、中でも女性独特の泌尿器の悩みは人に言いにくい代表のようなものだから、おそらく彼女にとって一番近い存在である私にさえ、最も見せたくない部分だと思う。妻が医師に処方してもらい常用している向精神薬は、気持ちを弛緩させる働きのあるものが中心であるが、医師いわくそれは同時に体の弛緩にも作用する。だからこれまでにも妻のその類いの悩みは見てきた。しかしそれらは全て自宅での出来事だったし、あくまで小さなしくじりの範囲だった。

 ある日近所のスーパーでそれは起きた。前を歩く妻の後ろをいつものようにカゴを押しながら、ゆっくり進んでいたその時だった。棚の商品を選んでいた妻が突然振り返り、明らかに我を失った顔をしながらやっと聞こえるくらいの声で「オシッコ出た」と言ってうつむいた。妻の足元を見ると、みるみる水の輪が床に広がっていく。私は一瞬頭が真っ白になったが、偶然近くにいた店員を捕まえて状況を話し、そのスーパーの買物袋とキッチンペーパーをひと巻もらって、できるだけ他の客に目立たないように急いで始末をした。その間妻は立ったまま焦点の合わない目で、ことの成り行きに身を任せるだけだった。

 家に帰り着くなり妻は玄関で濡れた靴下を脱ぎ、肩を落として廊下を進んだ。風呂場に座り込んで「こんなに汚い奥さんでゴメンね」とすすり泣く妻をその時私はどうしてやることもできなかった。極力何事も無かった風を装って、妻に気づかれないように廊下に残った足跡を雑巾で素早く拭いて痕跡を消した。妻にとってももちろんだが、私もショックだった。かける言葉が無いとはこのことで、妻にはその日冗談はおろか気の利いたことは何も言えなかった。その出来事以来しばらくの間、心を痛めつけられた妻は、ボロ雑巾みたいだった とでも例えようか。

 しかし彼女の身に無慈悲にも二の矢が放たれた。何というむごい運命だろう、あろうことかその後1ヶ月も経たない内に同様のことがまた起きてしまったのだ。今度はいつも通っている病院のカウンターの前だった。私が受付にいる女性に状況を伝えると、すぐに雑巾とバケツを奥から持ってきて処理をしてくれた。妻はその間青い顔をしながらこの時もなす術なく動けずにいた。

 前回同様その日も急ぎ帰宅して着替えた後、妻を子供をあやすようになだめ、大人用の紙パンツと尿もれパッドをドラッグストアに2人で買いに行った。私は買物をしている間シリアスな感じをわざと隠し、うなだれる妻にはそんなことは誰にでも普通に起きることのように振る舞いながら。しかし私はもうこの日以降、妻には予防策を講じていない外出はもはやさせられないと思った。

 元々妻はほぼ外出らしい外出はしないし、それどころか寝室で横になって1日を過ごすことも多いから、たまの外出は大変貴重な機会だ。色々な条件が揃わないと実行できない。だからこんなことがきっかけとなって、もう外出はしたくないとはどうしても思って欲しくなかった。

 かかりつけの泌尿器科で過活動膀胱の薬を強めのものに変えてもらったのが功を奏したのか、この数ヶ月前述のような大きなハプニングは起きていない。でも今思えばその事が起きた時にうろたえた自分が恥ずかしいし、彼女は夫のそんな姿を見て悲しかっただろうと思う。また何より妻に失礼でもある。

 あの日から少し時間は経った。しかしそのことをよくよく考えれば、大騒ぎするようなことは何もないのだ。妻の人としての可愛い部分が一つ増えただけじゃないかと今思える。