孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

おばちゃんって

若いねーちゃんも30年も経てばおばちゃんになるのだが、ねーちゃんとおばちゃんはどこに境い目があるのだろうか。年齢や見た目でボーダーを引くには無理がある。個人差がありすぎるからだ。通販化粧品のCMには驚く程若々しい60歳が登場する。まぁ元々若く見える人を選んだだけだろうけど。また時代によっても違う。昔の60歳と今の同年齢の人を比較すると、昔の60歳は既におばあさんになっていたように記憶する。

おばちゃん。愛すべき存在。その生態ははかり知れないが、特性をほんの少しだけ見せよう(笑)

 

テーマ:《みんなやってるやないの》
相対的に生きる女性ならではの考え方は、自分以外の人もやっているから自分一人が指摘されるのはおかしいという、非建設的かつ破滅的な思考に至る。「私だけと違うやないの!」とほぼ同義である。このように自分だけが損をしたり、他の誰かだけが得をする話を聞いた日には敢然と『悪』に立ち向かう(笑)  ただし、逆に自分だけにおまけをしてもらったり、「奥さん、ここだけの話ですけどね、、、」などというように、自分が得をするような話は大好きなのである。
昔、ポリタンに停められたノーヘルのおばちゃんが、表題の言葉をセオリー通りに喚き立て、「私以外の人を全員捕まえたら私も捕まったるわ!」と豪語しており、学生の私は女社会の怖さを思ったのを思い出す。結局当然のように切符は切られたけど(笑)

 

テーマ:《ちょっとくらいいええやないの》
多くのおばちゃんは頭の中がアナログである関係で、このワードが念頭にある人が多い。他人の中で生きていく社会において、おばちゃんは「ちょっとだけ自分が得をするところ」で落ち着かせたいと思っているから、完全にみんな平等に同じ状態になることを口では求めつつも、その実水面下では裏取引が存在していたりする。

しかし女性グループのワリカンの細かさは絶句ものである。たとえ1日であっても誰かの勘定を一旦肩替わりするのは絶対嫌だから「まとめて私が払っておくわ!」などという言葉は女性グループには無いし、ましてや「今日は私の奢り!」なんて金輪際あり得ない。男みたいにこの前はお前が払ったから今日は俺だな、みたいな日は未来永劫訪れない。

ちなみにもう少しで手に入りそうだったけどダメだった場合、男の思考は「クソー!あとちょっとやったのに!」であり、アカンものはアカンのだが、「ちょっとくらいええやないの!」と思う女性とはそのあたりが決定的に違う。男はドライかつデジタルだ。


テーマ:《マジョリティこそ力》
数は力である。おばちゃんに限らずあらゆる女性の集団にはある人数を超えると固定のリーダー(ボス)が存在するし、ことある度にマウンティングを繰り返し自分の優位を確認する親分には逆らえないようになっている。自分の意見すら言えない閉鎖空間が形作られるのは女性のコミュニティでは日常だし、公園デビューなどという、男社会では理解できないことに縛られてしまうのは、誰かと一緒でなければ安心できない女性ならではの価値観だと思う。
おばちゃんは否定されることを極端に嫌うから、ボスはイエスマンが大好きだ。ボスにくっ付いている金魚のフンのような取巻きたちも、結局多数派に属していることで安心している。私は若い頃、バイト先のおばちゃんボスを言葉の応酬でやり込めたことがある。別のおばちゃんたちから「よくやってくれた!」と喜ばれる結果となったんだけど、その喜んだおばちゃんも、はじめのおばちゃんと同じように新しいボスになってしまう不思議(笑)  めまいがした思い出である。