孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

検定

在学中の資格取得は専門学校の特徴であり、その合格率は広報上の生命線ともいえる。しかし国家資格ではない民間団体が設定する美容関連の資格のなんと多いことか。しかも今でも次々に新しく設立される業界団体やNPO法人が少なくなく、学校としては生徒たちにどれを選択受験させるかをいつも考えておく必要がある。生徒たちが学ぶカリキュラムやシラバスは、検定の種類と難度、また今現場でいかほど求められているのかを総合的に判断しないといけないからだ。

しかし暴言のそしりを覚悟にあえて言えば、美容関連をはじめ、ほとんどの資格は持っていたからといってその人のプロとしての実力を的確に表すものではない。確かに一部技術レベルとリンクするものもなくはないが、大方は飾りに過ぎないといえば噛み付く人も多いだろうか。

私の知る限り美容業界以外では介護の資格は「資格がその業におけるプロとしての実力を表さないもの」の最たるものだ。私が休職中、妻の介護のために資格や知識があったら今後も色々と使えるのではないかと思い立ち、民間団体の講座を受け、介護施設での実習を経て資格を取得したが、こんな知識や技術を習ったところで、高齢者の着替えひとつできないのである。美容師の国家資格を取得したところでシャンプーも満足に出来ない半端な人材が少なくないのと同様だ。受講しながら私は日本の資格制度とはなんだ?と思ったものだ。結局現場で失敗しながらでないと知識も技術も身にはつかないというのが世の常だということなのである。

提言する。人間が生きていく上での本当に必要な能力の資格を、ちゃんと考えて作るべきだ。以下に挙げた数種の検定を見てほしい。私は憂国の士である。

 

《フカ検》周囲を不快にさせない能力

コミュニケーションにおいて、相手がイヤな思いをしない能力。バーバル、ノンバーバルがある。しかし指摘しない、主張しないということではない。

 

《ポカ検》顔や態度に出さない能力

ポーカーフェイスから命名。すぐ顔や態度に不満や怒りが出てしまう若者に広く求められる能力である。また部下を持つようになったら改めて必要になる能力でもある。

 

《カマ検》かまってもらわなくてもすねない能力

初級はかまってちゃんに対し自分が「かまってもらわなくても生きていく」ことがテーマであるが、上級になると自分がそうでないということの他、他人に対する更生の手腕が問われる。

 

《トジ検》当事者意識を持てる能力

他責指向が強く文句ばかり言っている人とは対照的に、周囲で起きている事象について、自分にも関係あると思える能力。これは後天的に学習することもできるが、家庭環境に根差した資質がものをいう。一人っ子や金持ちの子供にありがちな「坊ちゃん・お嬢様体質」の人はそもそも自分のために周囲が動くことについて特別な感情を持たない。だから他人の思いに気づかず当然感謝もしない。

 

《モク検》目的を外さず論理的思考ができる能力

目的は大事だ。しかしその大事なことがしばしば行方不明になるのが人生だ。ビジネスもしかり。目的を外さず、今取り組める最善の方法を選択した上で実際にやることを立案できる人材が喉から手が出るほど欲しい、、、。