孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

学校のあり方

 専門学校を運営するには、大きく3つの要素についてゴール(理想・目標)を持ち、そのゴールに到達するために本気にならなければならないと思っている。世の中では『理念』だといって、学校や企業のサイトのトップページに美辞麗句が並べているが、天邪鬼の私はアレを見て「ホンマか?」と疑っている(笑)   例えば高校なんかであれば、「自由な中にあって個性輝く人材に・・・」、「一人一人がお互いを尊重し・・・」、「仲間と共に励まし合いながら困難に立ち向かう・・・」。達成するのが非常に難しいこのようなことを、一体どうやって身につけるのか?とツッ込みたくなるのは私だけか? 耳障りのいいスローガンだけで目標が達成できるなら、こんな簡単なことはない。その言葉を目標と決めたのなら、最終形(ゴールの姿)と何をもって達成とするのか、またそこに至るプロセスは? そんなものもなく、やりますやりますとだけ言ってもなぁ・・・。あっ、他人のことはこれくらいにしておこう(笑)


 学校のあり方としては、まず⑴どのような生徒を世に送り出すのかということ、そして⑵そのためにどんな教育を行うのかということ、最後に⑶それらをどのように知ってもらうのかということだけは最低限必要だ。


⑴どのような生徒を世に送り出すのか
 特に高校を卒業した後に進学する選択肢となる学校の存在理由は、どんな生徒を作るのかにかかっている。特に我々のような専門学校というものは、高校から原料を仕入れ、自校で成形し、社会に職業人を供給するための人材の工場のような機関であるといえる。そう考えると我々の一番のお客様は社会や企業だ。だからこそどんな生徒を作るのかが学校としての最も重要な成果となるのである。入ったはいいが、人は育たんわ、退学者は続出するわ、就職した卒業生はすぐ辞めるわ、では話にならない。実際こんな学校もあるけど・・・いや、アカンアカン。他人の批判はやっぱりやめとこう(笑)


⑵ そのためにどんな教育を行うのか

 卒業時、社会現場で立ち振る舞える力をつけていることを目標とするならば、どうしても修業年限内の教育は高校生にとっては地味で面白みを感じにくいものとなる。なぜならイベントやコンテスト、◯◯大会などの課外の派手な活動には時間を割けず、逆に欠席をしないこと、挨拶や掃除がきちんとできること、周囲と協力して自分の意見も主張できた上他人の意見も聞けることなどの、現場でプロとして生きる上での必要最低限の社会競争力を身につけさせた上で荒波の中を泳いでゆける強さを身に付けさせることが優先されるからだ。残念ながら人としての強さは仲良しグループの中では育たない。誤解を恐れずいうならば、チャレンジした結果、挫折しながらもそれを乗り越えるということがなければ、人は強くはなれない。


⑶ それらをどのように知ってもらうのか
 いわゆる広報だ。専門学校が「この学校いいなぁ!」と思って欲しい対象は、単純に考えれば高校生だ。だから高校の新卒生を受け入れる大体の学校は、高校生向けの顔を精一杯作る。楽しい学校生活が送れて、資格が確実に取れて、安心の就職実績で・・・。しかし「この学校いいなぁ!」と思ってもらいたい対象は実はもう一つある。いや、こちらの方が本来重要なはずなのだが・・・。それは現実の社会=企業からの評価である。
 最前線で活躍するプロが、我が校の卒業生に対して「あそこの学生は仕事の現場で使える」といってもらえることこそ、専門学校にとっては最高の賛辞だ。しかし世の大部分の専門学校はこれら2つの顔(対高校生、対企業)が全く違うモノであるような気がする。手前味噌ながら我が校はここに取り組んでいる。この2つの顔は違ってはいけないはずだからだ。アッチでもいい顔こっちでもいい顔で、その2つの顔が正反対の方向性では、生徒指導に従事する者が自分の仕事に矜持など持てるはずがない。


 我が校が高校生だけに取り繕った顔を捨て、方向性を一本化しようとして10年近く経っただろうか。取組みの初めの頃は高校生に全くフックしないことに焦りもあったものの、種蒔きは実を結び始め、18歳人口の減少が叫ばれる中にあって、ようやく数年前から入学希望者が上昇に転じ、取り組んだ方針が間違いでなかったことを実感している。