孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

飲み会

 飲み会は苦手だ。いや、そんな優しい表現じゃダメだな。嫌だ。嫌いだ。嫌悪する。


⚫︎注ぎつ注がれつの感じが嫌だ
⚫︎目下のものから目上の人への礼儀が嫌だ
⚫︎「ここらで一曲」とか「一発芸行け〜!」とか「◯◯からの〜」みたいなノリが嫌だ
⚫︎酔って普段と変わるヤツが嫌だ
⚫︎それを許しまた笑いにする風潮も嫌だ


 中でも酔っ払うヤツは最も嫌いで近寄りたくもない。寝る、叫ぶ、泣く、絡む、すねる、ひねくれる、自慢する、言葉遣いが汚くなる、悪口を言う、下品になる、・・・。とにかく普段と人格が変わってしまうのがダメだ。『酒の勢い』や『酒の力を借りて』というものは誠実な生き方においてはルール違反だ。しかし最悪なのは吐くことか。何が悲しくてわざわざ金出して酒飲んで吐かなきゃならんのだ? バカじゃないのか? 繁華街の路上の隅にいるゲロってるヤツらには同情するどころか軽蔑の思いしかない。


 酔っ払う一因に『一気飲み』というイジメであり暴力である行為がある。今の若者は周りからはやされると、場の空気を白けさせないようにと気を遣って普段あまり飲めない人でも一息に大量の酒を摂取する。美味くもなんともないただの苦い水を、である。そのただの苦い水は2,30分もしない内に体に作用し始める。弱い人にとってはそれからの数時間は地獄である。しかし本当の地獄はそれを介抱をさせられる方だ。
 若者にとっては空気は吸うものというより読むものとしての価値の方が大きい。自慢ではないが私なら場が白けようが怒る奴が出ようが痛くも痒くもない。「場の空気」という実態のないもののために犠牲になってはたまらない。


 打ち上げ、歓迎会、送別会、新年会、忘年会、親睦会、謝恩会、励ます会、互礼会などは、参加に強制力が働くものなら不要だ。酒飲みたちにとっての酒を飲む口実でしかないからだ。あんなものは必要だと思う人が、賛同する人とだけやればいい。そんなことが半強制になり同調圧力が存在するのは、ある意味民度の低さである。
 例えば誰かの送別会において、開催の主旨は去りゆく人との別れを惜しみ、思い出を語りながらその人の将来を願う催しであるはずだ。ところが会の人数が多くなると、ただ酒を飲んで騒いでいる小グループが存在するだけで、別れゆく人のことなど全く話題にもならないどころか眼中にさえない。そんな集まりなら不要だと思うのだ。

 

 私個人としては、儀礼的な意味で開催される人生の節目としての成人式、結婚式やその記念日、還暦またそれ以後の◯寿などの祝事以外においては、『全員集合!』みたいなノリで関係者が集まって酒を飲んで騒ぐのは不要だと思っている。私は酒を飲むこと自体は嫌いではないが、飲み会における飲んで歌って騒いで・・・は毛ほども楽しくはなく帰宅後ぐったり疲れている。