孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

拭いきれない偏見

 喫煙者には拭いきれない偏見を持っている。普段タバコを吸ってる人を見ると、どうしても「この人はイマイチだろうな」と思ってしまうのである。私にとっては「こんな時代にタバコをやめられなかった、自己制御のできない人」と判断してしまうからだろうが、仮に私にそう言われても喫煙者はきっと「はじめからやめる気なんか無い」と言うだろう。それを聞いてさらに私は心でつぶやく。「へぇ、この人はこんな時代にタバコなどという害にしかならないモノをやめようと思わない、自分本位の人か」と。


 大声で話す人には拭いきれない偏見を持っている。経験上、公的な場所においても大きな声で話す人は自分を優位に置きたがる人だ。他人より上にいて誰かを笑いたい。でも自分は笑われたくない。馬鹿にされたり軽蔑されたりするのが何より嫌な人。何かのタイミングで仲間外れになったような感じになるとかなりの勢いで逆上したりする。きっと自分の存在意義が無くなってしまうことを過度に恐れているんだろうなぁ。だから『俺はここにいるぞー!」と声が大きくなってしまうんだ。


 子供にオンリーワンの名前を付けたがる人には拭いきれない偏見を持っている。なぜだろう、地方に行くほど独特の名前を持った子供が多いように思うが、これはどうしてなのか。私が導き出した答えは、田舎ほどヤンキーと呼ばれる方たちの生息率が多く、その系統の人ほどオンリーワンが好きであるため、子供が産まれると「これなんて読むの?」みたいな名前を付けがちだという説である。さらにその子供は、髪型も独特で高い確率で親の意向でブリーチを施されることになるのだが、親は親で髪は同じくブリーチをしてるし、またタトゥー率が高い。そして彼らの多くはなぜか黒いワンボックスカーに乗っている。


 少食の人には拭いきれない偏見を持っている。食は生である。食は生を支える上で最も大切なものだ。人生における全てのものは生の上に成り立つ。要するに食の上に成り立っているのだ。よって食が細いというのは生きる力すなわち生存力も頼りなく、ひいてはそれは社会での競争力の乏しさに繋がっているように感じるのだが。
 食はその人の人との関わり方を表すと思っている。きれいに食べる人は対人関係でも品があって破綻がない。(アレルギーを除いて)好き嫌いの多い人は自分以外の人に対しても好き嫌いが多い。そもそもそのタイプの人は、自分に嫌いなものがあることを欠点とも弱点とも格好悪いこととも思っていないから直す気などない。

 

 人の価値は第一印象で決まるものではない。それは百も承知だ。しかし私の中では閉店時間前のスーパーにおいて一部商品に貼られる『半額!』や『レジにて◯割引!』のシールのように、これらのタイプの人たちの能力に対し割引シールを貼ってしまうのである。もちろん偏見であり良くない先入観であるが、決して拭えない。