孤高の専門学校校長

感じるままに言いたい放題

「くせに」

《男のくせに》

 子供の頃、泣いたりしても「男のくせにいつまでもメソメソしてるんじゃない」と親や大人たちによくたしなめられたものだ。今から何十年も昔のことであり、終戦からまだ20年程しか経っておらず、そう私に言っていた大人たちも、当然戦争をくぐり抜けていた訳だ。男は強くなければならず、女はその後方支援をするのが当たり前だ、そんな価値観を多くの人が持っていた時代だった。

 さて戦争は終わり、ややあって「戦後強くなったのは女性と靴下(ストッキング)である」 という言葉が流行した時期があったらしいが、確かに女は強くなりその立場は劇的に改善された。それまでの価値観は崩れ、男が冗談でも「女のくせに・・・」というフレーズを口にしたらただちに差別だと言われてしまうから、しばらく前から「女のくせに」は聞かなくなったが、今でも「男のくせに」は厳然と残り、私たちの家庭や職場で息づいている。面白いのは、経験上「自分たちは女であることで平等に扱ってもらっていない!」と訴える女性ほど「男のくせに!」と思っている場合が多いことだ。

 しかし「男のくせに・・・」とならないように、苦しんでる顔は人に見せず、自分自身を鞭打つことが必要な場面も男にはあると思っている。

 

《子供のくせに》
 「子供のくせに偉そうに一人前の口をきくな!」家や親戚連中、バイト先からでさえもそう言われてきた。その思いが、早く大人になりたい気持ちに繋がった。大人はカッコいい、子供はカッコ悪い。だから子供は大人にしか許されていないことに憧れる。酒、タバコ、クルマ、SEX。しかし私が最も『子供のくせに・・・』と思ってしまうのは、我が校にも一定数生息している、彼氏との擬似新婚生活に憧れる女子生徒、夢見る夢子さんたちだ。交際が始まっていくらもしないのに、目を輝かせて不動産屋の外壁一面に貼り出されているマンションの間取りを物色する夢子さんを見ると、恐ろしくも感じる。その多くは後ろの男が全然乗り気でないところが悲喜劇だ。

 しかし仮に色々な条件が幸運にも上手くいって2人で住むことになったとしても、彼女たちの多くは常に自分中心なので、彼との日常の中で「◯◯してくれない」とか「たまには◯◯してよ!」みたいな不満が新生活早々噴出し、喧嘩ばかりして早晩その関係は破綻する。これは歴史が証明してもいる。自分がこれまでお付き合いしてきた人との恋愛期間の短さを考えれば、早期に関係が壊れるのはわかりそうなものだが、新しい恋愛のたびに目の前に現れた恋人を運命の人だと思ってしまうのは、頭の中がまだ子供のままの女性の特徴である。どんなに傷つこうと、周りが何を言おうと懲りない。ホント子供のくせに人生を軽く考えるんじゃない!

 

《医者のくせに》

 失礼は百も承知だが、医者という仕事は手を抜こうと思えばいくらでも抜ける。型通りの問診を2,3聞いて数秒カッコだけ胸の音を聞き「風邪でしょう。薬を出しときますね。はい次の人」で家が建つならこんなにいい商売はない。そしてその傾向は精神科において顕著であると断言する。妻が病を得て何名かの精神科医に診てもらった。命を救ってもらったと思える医師もいたのでもちろん全員ではないが、酷いのになると大声で患者の悩みを馬鹿にし笑い飛ばす輩まで存在する。そんな医者にかぎって薬だけは一度に最低5,6種類は出し、効かないとなると通院の度にさらに数種類増やしていく。妻の不眠の訴えを聞いたある医師もそんな一人だ。とにかくどんどん抗不安薬や精神を安定させる薬、また導眠剤を増やした。通常限界量とは別に頓服として処方された導眠剤をはじめとする大量の薬を連用した結果、妻は幻覚、幻聴に苛まれ、夢と現実の間を彷徨い急に泣き出し、叫び、その場に居ない相手と会話した。明け方、そんな妻の横で刃物を隠して一睡もできない夜もあった。

 経験から述べるのだが、うつ状態で初めて来院した患者に抗うつ薬を何種類も処方するのは安直であり、かなり危険なことだと思う。妻が家の中の破壊行動をはじめとする奇行に陥る原因は激症型の精神病であったことは間違いないものの、その症状を暴走させたのは医者であり、奇行の原因が薬にあることを突き止めてくれ、薬の量を激減させてくれたのもこれまた医者である事実。

 ともすれば命の重さがわからなくなっている患者を前にしているのが精神科医である。医師のくせにその夜にでも無くなってしまうかもしれない命の危うさを思い浮かべられない、ようするに患者の立場に立てない者は医者の看板を下ろすべきだ。